西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 病院80年史、チャペルニュース、聖路加国際大学HP その他 |
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1902 | 明治35 | 2 | 聖路加病院創立(築地病院を聖路加と改称。院長:Rudolf B.Teusler) | |||
3 | 13 | A.C.ショー司祭 召天(56歳)青山外国人墓地に埋葬される | ||||
「古今聖歌集」が聖公会の第7総会で承認され、誕生する。 | ||||||
1903 | 明治36 | 12 | 17 | ライト兄弟が人類初の有人動力飛行に成功 | ||
聖路加看護婦学校創立 | ||||||
1904 | 明治37 | 日露戦争が始まる | ||||
4 | 聖路加看護婦学校発足 | |||||
1905 | 明治38 | |||||
1906 | 明治39 | |||||
1907 | 明治40 | |||||
1908 | 明治41 | 6 | 上野公園の音楽学校にて聖路加病院慈善大音楽会が開催 | |||
1909 | 明治42 | |||||
1910 | 明治43 | |||||
1911 | 明治44 | |||||
1912 | 大正1 | 銀座尾張町に薬品部を開く | ||||
1913 | 大正2 | 病院内に小さなチャペルが設けられる | ||||
1914 | 大正3 | 日本が第一次世界大戦に参戦 | ||||
1915 | 大正4 | |||||
1916 | 大正5 | |||||
1917 | 大正6 | 4 | 聖路加病院を聖路加国際病院と改称 | |||
1918 | 大正7 | 4 | 目白准教会(現在の目白聖公会)創設 | |||
立教大学 築地から池袋へ移転 | ||||||
1919 | 大正8 | 立教学院諸聖徒礼拝堂 聖歌隊 初代隊長 ガントレット(Gauntlett)氏就任 | ||||
1920 | 大正9 | 竹田真二師が伝道師として赴任 | ||||
初代学長Rudolf B.TeuslerがAlice C. St. John女史の協力のもとに聖路加病院付属高等看護婦学校を設立 | ||||||
1921 | 大正10 | |||||
1922 | 大正11 | トイスラー院長、米国で病院建築募金調達のため各地で集会を開く | ||||
1923 | 大正12 | 4 | 日本聖公会第14総会にて東京教区設置が決定 | |||
5 | 17 | 第1回東京教区会開催(東京聖三一教会) | ||||
9 | 1 | 関東大震災で病院建物を失う | ||||
トイスラー院長、米国赤十字社、聖公会本部、ロックフェラー財団に 関東大震災災害救援と病院復興の救援を求める |
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天幕病院設営「米国政府医療庁野戦病院」診療開始 | ||||||
1924 | 大正13 | 仮病院竣工(総2階建て、病床数40〜50) | ||||
1925 | 大正14 | 仮病院が火災で2/3焼失 火災後再建した病院に中央検査室設置(日本初) 公衆衛生事業開始(日本初) |
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11 | 8 | 旧館所属チャペル落成感謝聖餐式(第2のチャペル) | ||||
12 | 軽井沢夏期診療所開設 | |||||
1926 | 昭和1 | |||||
1927 | 昭和2 | 竹田真二先生 司祭按手 | ||||
立教学院諸聖徒礼拝堂 聖歌隊 第2代隊長 ブランスタッド(Branstad) 氏就任 | ||||||
聖路加国際病院付属高等看護婦学校が聖路加女子専門学校となる。 看護学校では、日本で唯一の最高教育機関(本科・研究科の4年制)として許可される |
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1928 | 昭和3 | 1 | 新病院(現在の旧館)建築の基礎工事始まる | |||
1929 | 昭和4 | 医療社会事業部を開始(日本初) | ||||
1930 | 昭和5 | 3 | 28 | 病院本建築の基礎の親石(corner stone)の据付式 | ||
1931 | 昭和6 | |||||
1932 | 昭和7 | |||||
1933 | 昭和8 | 第1街区に病院完成(現在の旧館) 米国式インターン・レジデント教育制度導入 |
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6 | 4 | 礼拝堂建設予定地にて最初の聖餐式 | ||||
1934 | 昭和9 | 8 | 10 | トイスラー院長逝去(享年58歳)、最後の言葉 ”Let the work go on" | ||
日本最初の「クワイヤーフェスティバル」開催(by KB) | ||||||
1935 | 昭和10 | 8 | 1 | 現在の聖ルカ礼拝堂起工 | ||
1936 | 昭和11 | 12 | 13 | 降臨節第3主日、現在の礼拝堂聖別式 | ||
財団法人聖路加国際メディカルセンターの設置許可を受ける | ||||||
1937 | 昭和12 | 礼拝堂にハモンドオルガン設置 | ||||
1938 | 昭和13 | |||||
1939 | 昭和14 | 第二次世界大戦、勃発 | ||||
1940 | 昭和15 | |||||
1941 | 昭和16 | 12 | 8 | 真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まる | ||
1942 | 昭和17 | 長野県小布施新生療養所の診察、一般事務を引き受ける | ||||
1943 | 昭和18 | 財団法人聖路加国際メディカルセンターを財団法人大東亜医道院に改称、 聖路加国際病院は大東亜中央病院に、聖路加女子専門学校は興健女子専門学校に改称 |
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1944 | 昭和19 | |||||
1945 | 昭和20 | 8 | 15 | 東京大空襲、無条件降伏(終戦) | ||
9 | 病院と学校の建物すべて接収される。米軍陸軍第42病院の看板が掲げられる | |||||
閉鎖していた明石町14番地の都立整形外科病院を借りて診療業務を続ける | ||||||
財団法人大東亜医道院を財団法人聖路加国際病院に改称。 大東亜中央病院を聖路加国際病院に改称。 |
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1946 | 昭和21 | 5 | 塔屋の十字架を再築、奉献式を行う | |||
清里聖路加診療所開設 | ||||||
1947 | 昭和22 | 12 | 24 | イブ礼拝を42病院内聖路加礼拝堂で行う。 深夜礼拝は帝国劇場の駐留軍礼拝に参加する |
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1948 | 昭和23 | |||||
1949 | 昭和24 | 医科大学卒業生の実地訓練病院として指定を受ける | ||||
1950 | 昭和25 | |||||
1951 | 昭和26 | |||||
1952 | 昭和27 | アメリカ聖公会セイヤー主教歓迎会を聖路加庭園で開催 |