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深夜礼拝の復活とキャロリング

20150205-14

いつからかは分かりませんが、1970年にはクリスマスイブの深夜唱詠聖餐式が行われていました。1968年の聖歌隊の目標に「混声の合唱でクリスマスの深夜礼拝に奉仕すること」とありますので、このころには竹田真二司祭や井原司祭司式による「天使ミサ」が行われていたと思われます。
井原司祭の退任(1991年)に伴い、深夜ミサは西村司祭による「マリアミサ」などに変更されて数年続きましたが、1996年には帰宅が困難などの理由によりいったん中止されました。
2000年に井原司祭が復職し、イブ24日午後11時半から深夜唱詠聖餐式「天使ミサ」は復活し、現在にいたっています。 尚、時間は井原司祭が召天した2005年からは午後10時、(当時は大畑主教が管理司祭でした)2007年からは現在の午後10時半からに変更されています。
伝統ある深夜唱詠聖餐式「天使ミサ」は現在、ケビン、上田両司祭により守られています。


クリスマスのキャロリングについての記録は最も古いものでは1970年(昭和45年)のものから 確認できています。当時は12月25日の早朝5時半からキャロリングが行われていました。
この25日早朝キャロリングの記録は1974年まで続いています。病棟はまだ睡眠中ですので、明石町界隈を文字通りキャロリングしたようです。当時の聖歌隊は午後11時半からの深夜ミサに奉仕した後、トイスラーハウスなどで仮眠したり、お酒による暖をとったりして夜を過ごしたようです。1977年以降、キャロリングは24日の午後8時半から行われるようになり、1992年からは現在の午後8時からになっています。 2000年にはまだ明石町界隈をキャロリングしていましたが、現在では病棟のみになっています。