作曲:Francis Poulenc フランシス・ジャン・マルセル・プーランク(1899〜1963)フランスの作曲家・ピアニスト。彼の父は裕福な商人でしたが、音楽家としての基礎的な教育を息子に許しませんでした。しかしプーランクは、ピアニストとしての才能に恵まれ、音楽理論の教義や知識にとらわれることなく、自由に音楽とつきあうことができたのです。すでにその作曲活動の初期に、友人たちとのサークル(六人組)に属し、ピアノのための常動曲(1918)によってストラビンスキーの注意を引きました。(六人組)というのは、1917年にエリク・サティ(1866〜1925)のもとに集まった一群の若いフランスの作曲家に与えられた名称です。詩人のジャン・コクトー(1891〜1963)を含む他の芸術家たちとともに、実際の民衆の趣向を示す現実性という理念、気取りやロマン主義的な夢想がなく、意味のない装飾を取り除き、輪郭がはっきりしていて、今日の現実の生活に近い芸術を指向し、ストラビンスキーにも影響を与えました。父親が熱心なカトリック教徒だったことから、その信仰心はプーランクにも受け継がれ、黒い木に刻んだマリヤ像のための<連祷>(1936)、無伴奏の少年合唱のための<少年の声>(1936)、無伴奏合唱のための<ミサ曲ト長調>(1937)、贖罪のための<4つのモテット>(1938-39)、<Exultate Deo>(1941)、<Salve Regina>(1941)などが連続的に作曲されました。第2次大戦後も、アッシジの聖フランシスの<4つの小さな祈り>(1948)、<Stabat mater>(1950)、クリスマスのための<4つのモテット>(1951-52)、<Ave verum corpus>(1952)、パドヴァの聖アントニウスの<4つの頌歌>(1957-59)、<Glolia>(1959)などが作曲されています。 歌詞:Ave verum corpus Christi,natum ex Maria Virgine,vere passum,immolatum in cruce pro homine. 邦訳:幸いなるかな、おとめマリアより生まれ出た御体よ。人々のため、まことに苦しみを受け、十字架の上で犠牲となられたキリストよ。
フランスの作曲家・ピアニスト。彼の父は裕福な商人でしたが、音楽家としての基礎的な教育を息子に許しませんでした。しかしプーランクは、ピアニストとしての才能に恵まれ、音楽理論の教義や知識にとらわれることなく、自由に音楽とつきあうことができたのです。すでにその作曲活動の初期に、友人たちとのサークル(六人組)に属し、ピアノのための常動曲(1918)によってストラビンスキーの注意を引きました。(六人組)というのは、1917年にエリク・サティ(1866〜1925)のもとに集まった一群の若いフランスの作曲家に与えられた名称です。詩人のジャン・コクトー(1891〜1963)を含む他の芸術家たちとともに、実際の民衆の趣向を示す現実性という理念、気取りやロマン主義的な夢想がなく、意味のない装飾を取り除き、輪郭がはっきりしていて、今日の現実の生活に近い芸術を指向し、ストラビンスキーにも影響を与えました。父親が熱心なカトリック教徒だったことから、その信仰心はプーランクにも受け継がれ、黒い木に刻んだマリヤ像のための<連祷>(1936)、無伴奏の少年合唱のための<少年の声>(1936)、無伴奏合唱のための<ミサ曲ト長調>(1937)、贖罪のための<4つのモテット>(1938-39)、<Exultate Deo>(1941)、<Salve Regina>(1941)などが連続的に作曲されました。第2次大戦後も、アッシジの聖フランシスの<4つの小さな祈り>(1948)、<Stabat mater>(1950)、クリスマスのための<4つのモテット>(1951-52)、<Ave verum corpus>(1952)、パドヴァの聖アントニウスの<4つの頌歌>(1957-59)、<Glolia>(1959)などが作曲されています。
Ave verum corpus Christi,natum ex Maria Virgine,vere passum,immolatum in cruce pro homine.
幸いなるかな、おとめマリアより生まれ出た御体よ。人々のため、まことに苦しみを受け、十字架の上で犠牲となられたキリストよ。
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