今までの一言(2015年)

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Upload on Dec.7,2015

先月の29日は降臨節第1主日で、キリスト教では新年の初めの日にあたります。幼子を迎えようとする、その記念の日に、聖歌隊は創立50周年の記念晩祷で奉唱しました。通常であれば、晩祷は病院のトイスラーホールで行いますが、その日だけは特別に1936年に聖別されたチャペルで晩祷を行うことができました。それも3人の司祭の司式での唱詠晩祷です。気合を入れて当日の詩編を3つ、ハモンド伴奏で奉唱しました。マリヤの賛歌とシメオンの賛歌は1956年に辻啓一氏が作曲した難曲に挑戦しました。当日は作曲者の奥様も会衆として参加されていたようです。聖歌隊は創立当時は主日礼拝への奉仕より以前に晩祷での奉仕が先だったと50年前の記録にあります。聖路加聖歌隊がこれから何年も存続し、奉仕を続けていくことができるように、心から願っています。


Upload on Nov.10,2015

昨年に続き、聖ルカ・フィルハーモニック・オーケストラのご協力を得て11月2日の諸魂日にモーツアルトのレクイエムを奉唱することが出来ました。過去1年間に亡くなった100数名の方々のお名前を読み上げ、聖ルカ礼拝堂聖歌隊およびフェスティバル・クワイヤーからなる合唱団が48名、オーケストラが38名と過去にない人数のレクイエム奉唱になりました。礼拝堂には約250名の方々が集まり、亡き人を偲び霊の平安をお祈りしました。これで今年の聖歌隊イベントは全て終了です。休むひまもなく、11月29日の降臨節第1主日の晩祷(聖歌隊創立50周年記念晩祷)のための練習が始まりました。それが終わるとすぐにクリスマスです。忙しさに負けないように、体調を整え、主のご用のために歌いましょう。


Upload on Oct.06,2015

辻荘一先生をご存じでしょうか?辻荘一氏は立教大学教授として、戦後、音楽学会の設立に尽くし、大学退職後は名誉教授となり、国立音楽大学教授に就任。社会福祉法人滝乃川学園第8代理事長をつとめた方です。没後、勲四等旭日小綬章を受章されており、教え子に中世音楽史家の皆川達夫氏がいます。荘一氏のご長男の辻啓一氏も作曲をなさっていました。
1956年(昭和31年)の何月かははっきりしませんが、辻啓一氏の自宅に一人の外人の方が訪ねて来られたそうです。奥様はその時の様子をしっかり覚えていらっしゃるとのことです。「曲をかいてもらいたい」という、その人は当時の立教大学聖歌隊長であったカール・イ―・ブランスタッド教授でした。啓一氏は、お話を聞いて「自分には無理だから」といったんはお断りしたそうです。しかし、その後、何回かブランスタッド教授の訪問を受け、奥様に言わせると「渋々」書いたのが「聖なる処女マリアの頌・シメオンの頌」という曲でした。
聖歌隊は11月29日の降臨節第1主日に行う50周年記念晩祷にこの曲を歌います。2010年の軽井沢ショー記念礼拝堂でのコンサート曲として、辻先生の奥様の前で歌いましたが、難曲で未消化のまま歌い終えた記憶があります。さあ、練習しましょう。


Upload on Sep.01,2015

今年の軽井沢合宿は初日の気温が18度、翌日が27度という温度差の中で雨も降り、体調の管理も大変でした。突然の雨で練習していた教会から動けなくなったり、喉を痛めて歌えなくなった隊員もいるなど、いろいろなハプニングもありましたが、参加者21名、無事に日曜日の礼拝奉仕とコンサートを行うことができました。15年間もお世話になっているコックさんが、私たちの練習の合間に栄養を考えての3食を提供してくれることや、適度な休息を考えながら練習を指導してくれる隊長に支えられながら、49回目の夏季軽井沢合宿が終わりました。
クリスマスに向って、秋のイベントが目白押しです。東京教区の他教会(今年は聖愛教会)訪問、レクイエム奉唱(今年はモーツアルト)、聖歌隊創立50周年記念の晩祷(11月29日予定)など、休むひまがありません。体調を整えて主の栄光をあらわすためにがんばりましょう。


Upload on Aug.04,2015

いやあ、暑い!!先週1週間、全国で1万人以上の人が熱中症になったと報道されています。今日、東京が35度以上の猛暑日なら140年ぶりに5日間連続だという嬉しくない報道もあります。こまめな水分補給をと呼びかけられていますが、誰もなりたくて熱中症になるわけではありません。かく言う私も、先週運転中に気分が悪くなり、「これは熱中症の症状だろう」と手元に置いてあったペットボトルの水を一気飲みしましたら、かえって気持ち悪くなり、運転中のことなので、すぐに路肩に停車すればよかったのですが、環7の大通りは混雑していて停車もままならず、冷や汗をかきながら這う這うの体で自宅に帰りつきました。車の中は24度のクーラーでしたが、そんな事は関係なく熱中症になるんですね。参りました。
さて、聖歌隊は今月の20日から恒例の軽井沢合宿です。熱中症にはならないでしょうが、毎度の寝不足と過密な練習スケジュールが待っています。体調を崩さないように乗り切りましょう。23日のコンサートプログラムはこのようになっています。


Upload on Jul.05,2015

聖歌隊創立50周年のイベントのひとつとして、文集を作成することになりました。聖歌隊の文集は古くは軽井沢合宿でのトイレットペーパーによる広報紙(1972年〜1981年、随時)から始まり、「こりすたぁ」という名前の文集(1973年〜1982年、9回)も発行されています。これらはガリ版による手書きの味わい深い広報誌でした。近年は「Cantate Domino」という名前で2008年から3回発行しており、今年は4回目の発行になります。
昔の広報紙や文集を読んでみますと、真面目な文章もありますが、発行責任者の趣味でしょうか、結構くだけた(ふざけた?)企画やイラスト等もあり、読み物としては大変面白い出来上がりになっています。現代は個人情報だの、肖像権だの、ハラスメントだのといろいろ気を使う場面が多く、古き良き時代の先輩方が残したものを羨ましく思ったのは私だけでしょうか。


Upload on Jun.05,2015

チャプレンは全ての礼拝に関して礼拝日誌という記録を残しています。べストリーの奥に古びた礼拝日誌を見つけました。現在の聖ルカ礼拝堂が起工されたのが昭和10年(1935年)の8月、聖別されたのが翌年の昭和11年(1936年)12月13日ですが、 見つけた礼拝日誌は昭和11年2月からのものです。当時のチャプレンは竹田真二司祭、かなり読むのには苦労しますが、12月13日、午前10時からの礼拝堂の聖別式の司式者はライフスナイダー主教、補式者はビンステッド主教、説教者は佐々木鎮次主教だったと 記録されています。その後、太平洋戦争が終戦し病院が接収された時代も、 礼拝日誌は英語で記録され、井原司祭が勤務する昭和36年(1961年)までの竹田真二司祭の 休む暇もないお仕事ぶりがうかがえます。


Upload on May 05,2015

約3年ほど前から「聖路加聖歌隊の歴史」をデジタルに残そうと、あちこちのアナログ資料を探してはスキャンし、ホームページを作成していました。長い歴史のある聖歌隊ですので、いろんな出来事があり、途中が抜けていたりすることもありましたが、ようやく今月で50年の歴史を一通りデジタル化することができました。写真や文章もできるかぎり注意してのせたつもりですが、個人情報の保護とか肖像権とかいう難しいことをおっしゃる方もおられるので、もしかすると不愉快に感じるものがあるかもしれません。聖歌隊の方々だけが見ることができるホームページの作成方法もありましたが、難しいことを考えると作業が遅れるので、普通にアップロードしています。何かあった場合の責任は全て私にあります。今後は出来上がったものの精度を高めるためにも、検証や追加資料のアップをしていこうと考えています。多くの方々にご協力いただきました。ありがとうございました。


Upload on Apr.13,2015

ちょっと遅れましたが、イースターおめでとうございます。聖路加の桜も満開で主の復活をお祝いしていたように思います。「聖路加の歴史」のページを作成していましたら、見つからない情報が少なからずあり、作業がたびたび中断してしまい、結局、アップするのが大幅に遅れてしまいました。ちょっと欲張りすぎたかもしれません。
さて、長い聖路加の歴史の中で病院が進駐軍に接収されていたのは1945年(昭和20年)から1956年(昭和31年)の11年間でしたが、その間、チャペルはどうなっていたのでしょうか?
今回、面白い資料が大学の歴史編纂室によって公開されているのを見つけましたので、報告したいと思います。 当時のチャペル祭壇の様子や、 当時の聖歌隊、 そして復活日の式文などです。今月はその写真(もしくは描いたもの)をお見せします。詳しくは後日、また報告したいと思います。


Upload on Mar.10,2015

東京教区時報の「コミュニオン」第21号に 卓司祭が韓国のキリスト教人口についてこのように書かれておられます。「キリスト教信者は約1590万人で人口の32%、大韓聖公会は6万人」。この数字と同じ切り口で日本の現状(と言っても2013年のものですが)を見てみましょう。文化庁のホームページから「日本のキリスト教系人口は192万人(これは総人口1億2730万人の1.5%)」。この数字は各キリスト教の法人から申告されたものでしょうから、実際はもっと少ないかもしれません。日本聖公会統計表による在籍信徒数は約5万人ですが、最も実態を表している現在受聖餐者数は1.6万人となっていることからも上記の数字が実態とはかなり異なる可能性があることを理解しておく必要があると考えます。


Upload on Feb.05,2015

2月8日の礼拝後、聖歌隊の総会を開きます。毎年年明けに総会をして、昨年度の活動内容の反省や今年度の予定等についてお話をしているわけですが、必ず毎年出される話題が「男性隊員が少ない」あるいは「男性隊員が高齢化している」という話題です。言わずもがなの問題だと思います。現在、声を出している男性隊員は実質5名で、平均年齢は69歳を超えています。男性隊員の勧誘を怠っているわけではありませんが、若い男性は会社でそれなりの責任ある地位を持っており、なかなか聖歌隊活動に参加するのは難しいという現状があります。女性もある年齢を過ぎると、家族の介護という問題を抱え、聖歌隊活動が難しくなってきます。又、そういう問題に加え、聖歌隊ならではの「歌唱能力」そして「キリスト教に向かう姿勢」という壁も入隊するには存在します。先輩諸氏がいくつもの課題を乗り越えて現在の聖歌隊がありますので、何か良い解決策があるとは思うのですが、なかなか次の一手が見つかりません。


Upload on Jan.05,2015

あけましておめでとうございます。
私たちの聖歌隊は今年で50周年を迎えます。1965年の7月のチャペルニュースには以下の記述があります。 「毎週金曜日午後7時からべストリーで練習している。聖歌隊の前身は病院接収解除された頃からの 東京教区聖歌隊。しばらく中断していた礼拝奉仕を再開したい。最初は晩祷式に、そしてゆくゆくは 主日の聖餐式へと。」
これは名誉隊長の関氏が書かれたものです。この年は聖歌隊の中心メンバーでもあった 田島宣亜氏、峰村春次郎氏が立教大学を卒業した年でもあります。聖歌隊が主日礼拝に奉仕を始めたのは この年から2年たった1967年であり、第1回の聖歌隊軽井沢夏季合宿が始まったのも同じ1967年ですが、 1965年にはすでに聖路加聖歌隊のメンバーが活動していたことなどからこの年を創立年としたわけです。


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