今までの一言(2014年)

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Upload on Dec.05,2014

今月は聖路加の聖歌隊に関係のある数字を少し説明したいと思います。 聖路加の聖歌隊は1965年にその活動を正式に始めました。ですから聖路加聖歌隊は来年で50周年> となります。夏季合宿は来年が49回目、レクイエム奉唱は来年のモーツアルトが45回目です。 奉唱記録を見ますと、聖路加聖歌隊は過去に聖歌や世俗曲を除いて、約150曲のアンセムを奉唱 しています。最も奉唱した回数の多いアンセムは「Proper for Whitsunday (Y.Shimaoka)」 で、今まで26回歌っています。 2010年の5月から楽譜の個人保有を始めました。現在までに隊員に配布した曲は125曲となり、 かなりのボリュームの楽譜を隊員は個人管理しています。現在隊員数は26名です。


Upload on Nov.05,2014

聖ルカ・フィルハーモニック・オーケストラとのレクイエム奉唱会が無事に終わりました。病院の医師や看護師、職員たちが中心の オーケストラですので、なかなか練習に全員が揃うことが難しい状況で、本番では練習とは異なる(?)素晴らしい演奏を聞かせてくれました。合唱は もう何度もフォーレを歌っている人が多いので、今回の課題はいかにオケの伴奏で表現できるかということだったと私は思います。指揮者は眼科の越前先生 でしたが、合唱と合わせるのは初めてですので、その指揮にも慣れる必要がありました。終わってみると、素人の集まったレクイエム奉唱会としては本当に よくやったという思いです。チャペル行事として、チャペル信徒の方々も一緒に奉唱会を作りあげていただきました。奉唱会のあとの懇親会も短い時間でしたが 今後に続く良い機会だったと思います。皆さま、本当におつかれさまでした。そしてありがとうございました。


Upload on Oct.05,2014

聖歌隊は9月21日(第3日曜日)、東京教区下町グループの浅草聖ヨハネ教会を訪問し、礼拝奉仕・ミニコンサートを行ないました。 浅草聖ヨハネ教会は都営浅草線の蔵前駅から徒歩1分のところにあります。当日はホームレスの方々にお弁当を給食する日にあたり、教会の中庭には多数の方々が 炊き込みご飯のパックを求めて行列していました。聖歌隊からも2名がお手伝いに伺いました。礼拝とコンサート後、隣の会館で信徒の方々と愛餐会をご一緒しました。 当日が敬老の日と重なったため、私たち聖歌隊のなかから70歳以上の3名におみやげをいただきました。大森司祭には大変お世話になりました。
聖歌隊の歴史は1975年から1980年の記録に入りました。


Upload on Sep.05,2014

8月22日から聖歌隊の夏季合宿が軽井沢聖ルカハウスで行われました。 約20名の隊員が3泊4日(先発隊は4泊5日)の合宿に参加しました。毎朝7時の早祷、ラジオ体操から一日が始まります。朝食後9時からは午前中の練習、昼食をはさんで午後の練習、 午後5時からの晩祷そして夕食後、夜の7時からショー記念礼拝堂をお借りして夜の練習、8時半からの終祷が終わってからは夜遅くまでの懇親会。 コックさんが毎食、栄養を考えた食事を作ってくれますが、礼拝と練習の繰り返しに消費するカロリーも多いので、いかにコンディションを整えるか、各隊員が集中しています。日曜日のショー記念礼拝堂での礼拝奉仕後のミニコンサートの出来は、 どのようにそれまでの合宿生活を過ごしてきたのかが問われるコンサートでもあります。もう48回目の合宿となりました。隊長は1967年の第1回目からの合宿参加です。すごい。
聖歌隊の歴史は1971年に入りました。チャペルで最初のレクイエム奉唱が始まり、 第2日曜日に加えて第4日曜日の主日礼拝奉仕が始まったことや、頻繁にチャペルコンサートが行なわれていた様子が伺えます。


Upload on Aug.02,2014

今年の4月1日付けで、学校法人聖路加看護学園は、一般財団法人聖路加国際メディカルセンターより 聖路加国際病院を含む医療関連施設の譲渡を受け、学校法人聖路加国際大学となりました。トイスラー博士のビジョンから生まれた 病院と大学がこのたび正式に一つの「生きた有機体」として将来に向かって発展していく姿勢をとったといえましょう。 新体制で「キリスト教センター」(Center for Christianity and Spiritual Care)が新しく設置され、チャペルの正式名称は 「聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂」に変更されました。なお、当チャペルが日本聖公会東京教区の「教籍を置ける礼拝堂」であることに 変わりはありません。(2014年6月号チャペルニュースより)
聖歌隊の歴史は1970年に入りました。第2日曜日の主日礼拝奉仕が始まり、コンサートも今より頻繁に 行なわれていた様子が伺えます。コンサートの小さい画面はクリックすると大きく見えます。


Upload on Jul. 02,2014

先日奉唱したプーランクの「Timor et tremor」大変難しい曲でした。聖歌隊は5月に郡山聖ペテロ聖パウロ教会 を訪問し礼拝奉仕とミニコンサートを行いましたが、その郡山にある郡山第2中学校の合唱部がYouTubeで「Timor」を披露しています。この合唱部 はNコンの常連で合唱の強豪と言われているようですが、「強弱や表現がしっかりしていて、うまい」というのが多くの聖歌隊員の感想です。この ページの下部に私たち聖路加聖歌隊の録音をのせておきましたが、まだまだ練習が足りません。中学生に負けないように、次回はもっと良い奉唱が できるよう頑張りましょう。
聖歌隊の歴史の記録はようやく教区聖歌隊の記録を終え、聖ルカ聖歌隊独自の記録へと移行しつつあります。今の 聖歌隊活動と比べて昔の聖歌隊は礼拝奉仕以外にもいろいろ活躍していたようです。毎月少しづつページが増えていきますので、ぜひご覧ください。


Upload on Jun 02,2014

お気づきの方もいらっしゃると思いますが、前月から下部のリンク先に「聖歌隊の歴史」というページを加えています。 2年ほど前から聖路加の聖歌隊の歴史に興味を持ち、いろいろな資料を集め、少しずつ情報を集めていました。その過程で、聖路加聖歌隊の歴史が聖公会の東京教区聖歌隊の 歴史と密接な関係があることに気付きました。そのため、情報は聖路加と教区の2本立てとし、できるだけ当時の資料をそのままのせることにしました。とは言っても、 かなり私個人の言葉での説明もあります。すでに亡くなった先輩諸氏に対して失礼な記述もあるかもしれませんが、どうかお許しください。そして間違いや誤解がありましたら ぜひご連絡ください。
このマークが新しくアップされたページです。これから毎月追加していくつもりです。


Upload on May 03,2014

「ふるさと」という歌があります。子供の頃の野山の風景を遠い地から懐かしむという内容の歌で、 誰もが知っているあの歌です。聖歌隊の有志で何度か老人ホームを慰問しましたが、最後に全員で歌うのが定番になっています。 一人一人のご老人には、確かにその人のふるさとがあって、歌詞カードがなくても懐かしく口ずさむことができる歌です。
今月の18日、聖歌隊は福島県郡山市にある郡山聖ペテロ聖パウロ教会を訪問し礼拝奉仕後、ミニコンサートを行うことになりました。 今回は幼稚園の園児たちも加わって一緒に、となりのトトロより「さんぽ」や「アンパンマンのマーチ」を歌うことになりそうです。 それ以外にもプログラムの中に「ふるさと」を入れました。最後に全員で歌おうというつもりです。
郡山の教会の司祭からメールが届きました。 内容をそのまま転記します。「ふるさとは最近歌われなくなりました。理由はふるさとに帰りたくても帰れない人にとって、 ふるさとは辛くて歌えないのです(以前は壁に貼ってあったふるさとの歌詞を書いた模造紙が最近仮設住宅で外されました)。 勝手なお願いですがふるさとははずしてください(ふるさとに帰れる人は歌うのかもしれません?)」
何気ない選曲でしたが、 被災地の方々の気持ちを充分に考えていなかったことに気付きました。


Upload on Apr.02,2014

港区の芝公園、東京タワーのすぐ近くに私たち聖公会の東京教区の主教座聖堂でもある聖アンデレ教会があります。 その敷地の一角にある古びた建物が「東京教区事務所」です。 聖路加の聖歌隊の歴史を探してここにたどり着きました。教区事務所の2階の資料室の鍵を開けていただき、 目に飛び込んだのが整然と並んでいる「東京教区決議録」です。 聖公会の東京教区は1923年(大正12年)に日本聖公会第14総会でその設置が決定されました。 大正12年と言えば、その年の9月1日の関東大震災によって、聖路加が一瞬のうちに病院建物を失った年でもあります。 その年からの毎年の決議録の中から、聖歌隊に関連する記述を探し、1965年に聖ルカ聖歌隊が誕生するまでの 東京教区の動きを把握することが今回教区事務所を訪問した目的です。カビ臭い資料室の隣の会議室をお借りして、 おそるおそる昔の資料を拝見しました。今にも朽ちようとしている紙の資料を破壊しないように気を付けて、 歴史調べの第一歩が始まりました。
(上記リンクしている箇所で写真やPDF資料等をご覧ください)


Upload on Mar.06,2014

毎年11月のレクイエム奉唱は今年で44回目となります。これまで聖路加聖歌隊をリードしてこられた先輩たち、 そして外部の多くの方々によってこの奉唱会は支えられてきました。記録によりますと、チャペルでの最初のレクイエム奉唱は昭和46年(1971年)、 オルガン伴奏でフォーレのレクイエムが奉唱されたとあります。2年後にフォーレのレクイエムが再度奉唱されていますが、この時は 聖路加聖歌隊と管弦楽で行われた記録が残っています。白黒の写真も残っていました。管弦楽は20人、聖歌隊は40人で懐かしい井原先生の 顔も見えます。(プログラム写真をご覧ください) レクイエム奉唱はその後、オルガンやピアノ伴奏で続けられていましたが、今年のフォーレの レクイエム奉唱会には聖路加の病院の医師や看護師などで構成された「聖路加・フィルハーモニック・オーケストラ」の方々が協力していただける かもしれないという嬉しいニュースがあります。現在お話は進行中ですが、実現にむけてこれから数々の困難を乗り越えていくつもりです。


Upload on Feb.02,2014

聖ルカ礼拝堂では主日礼拝以外にも病院や看護大学関連の礼拝や聖婚式、 結婚式、お葬式などが行われています。先日、病院の緩和ケアー病棟に入院されていたご婦人が亡くなり、 平日の夕方でしたが、司祭から聖歌隊に通夜の奉唱依頼の打診がありました。
聖路加聖歌隊は社会人の団体であり、平日はほとんどの隊員が仕事をかかえていますので、奉仕活動 の人数を揃えるのが無理だろうということで、通夜や告別式でのご奉仕をお断りしていた経緯があります。 司祭にお聞きしたところ、今回は喪主の方から何度も聖歌隊の奉唱をお願いされたとのことです。そして このご夫妻は奥様が入院中、主日礼拝に2回おいでになり、音楽も含めて礼拝の素晴らしさに 感動したことが、ずっと考えていた洗礼を受けることの大きなきっかけになったようだというお話でした。 聖歌隊としてこんなに嬉しいお話はありません。水曜日の夕方でしたが、11人の隊員が集まり、心をこめて 聖歌とアンセムを奉唱しました。


Upload on Jan.02,2014

あけましておめでとうございます。年の初めにあたり、私たちのケビン司祭が昨年の聖歌隊合宿の講和としてお話された事柄を再確認したいと思います。 「聖歌隊は何をしているのか?」というタイトルでお話されました。聖歌隊の本質をつかんだ私たちの拠り所になるお話です。
聖歌隊は神に向かって歌っている
聖歌隊は集まっている人たちのために歌っているわけではありません。むしろ、神に向かって歌っています。歌う曲は祈りから生まれたもので, 歌うときに神に向かって歌っているのです。音楽そのものが目的ではありません。
聖歌隊は、みんなの祈りを支えている
特に聖歌隊の役目は、祈りの土台を敷くことです。その土台に上に立つ会衆はみ言葉の意味をより深く受け止めて、理解することができるのです。
神の愛に応えている
礼拝で歌う理由は、神が愛してくださったことを覚え、わたしたち一人一人を、また世界を愛されるべきものとしてお造りになったことを覚えるからです。


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