今までの一言(2014年)
今月は聖路加の聖歌隊に関係のある数字を少し説明したいと思います。 聖路加の聖歌隊は1965年にその活動を正式に始めました。ですから聖路加聖歌隊は来年で50周年> となります。夏季合宿は来年が49回目、レクイエム奉唱は来年のモーツアルトが45回目です。 奉唱記録を見ますと、聖路加聖歌隊は過去に聖歌や世俗曲を除いて、約150曲のアンセムを奉唱 しています。最も奉唱した回数の多いアンセムは「Proper for Whitsunday (Y.Shimaoka)」 で、今まで26回歌っています。 2010年の5月から楽譜の個人保有を始めました。現在までに隊員に配布した曲は125曲となり、 かなりのボリュームの楽譜を隊員は個人管理しています。現在隊員数は26名です。 |
聖ルカ・フィルハーモニック・オーケストラとのレクイエム奉唱会が無事に終わりました。病院の医師や看護師、職員たちが中心の オーケストラですので、なかなか練習に全員が揃うことが難しい状況で、本番では練習とは異なる(?)素晴らしい演奏を聞かせてくれました。合唱は もう何度もフォーレを歌っている人が多いので、今回の課題はいかにオケの伴奏で表現できるかということだったと私は思います。指揮者は眼科の越前先生 でしたが、合唱と合わせるのは初めてですので、その指揮にも慣れる必要がありました。終わってみると、素人の集まったレクイエム奉唱会としては本当に よくやったという思いです。チャペル行事として、チャペル信徒の方々も一緒に奉唱会を作りあげていただきました。奉唱会のあとの懇親会も短い時間でしたが 今後に続く良い機会だったと思います。皆さま、本当におつかれさまでした。そしてありがとうございました。 |
聖歌隊は9月21日(第3日曜日)、東京教区下町グループの浅草聖ヨハネ教会を訪問し、礼拝奉仕・ミニコンサートを行ないました。
浅草聖ヨハネ教会は都営浅草線の蔵前駅から徒歩1分のところにあります。当日はホームレスの方々にお弁当を給食する日にあたり、教会の中庭には多数の方々が
炊き込みご飯のパックを求めて行列していました。聖歌隊からも2名がお手伝いに伺いました。礼拝とコンサート後、隣の会館で信徒の方々と愛餐会をご一緒しました。
当日が敬老の日と重なったため、私たち聖歌隊のなかから70歳以上の3名におみやげをいただきました。大森司祭には大変お世話になりました。
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8月22日から聖歌隊の夏季合宿が軽井沢聖ルカハウスで行われました。
約20名の隊員が3泊4日(先発隊は4泊5日)の合宿に参加しました。毎朝7時の早祷、ラジオ体操から一日が始まります。朝食後9時からは午前中の練習、昼食をはさんで午後の練習、
午後5時からの晩祷そして夕食後、夜の7時からショー記念礼拝堂をお借りして夜の練習、8時半からの終祷が終わってからは夜遅くまでの懇親会。
コックさんが毎食、栄養を考えた食事を作ってくれますが、礼拝と練習の繰り返しに消費するカロリーも多いので、いかにコンディションを整えるか、各隊員が集中しています。日曜日のショー記念礼拝堂での礼拝奉仕後のミニコンサートの出来は、
どのようにそれまでの合宿生活を過ごしてきたのかが問われるコンサートでもあります。もう48回目の合宿となりました。隊長は1967年の第1回目からの合宿参加です。すごい。
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今年の4月1日付けで、学校法人聖路加看護学園は、一般財団法人聖路加国際メディカルセンターより
聖路加国際病院を含む医療関連施設の譲渡を受け、学校法人聖路加国際大学となりました。トイスラー博士のビジョンから生まれた
病院と大学がこのたび正式に一つの「生きた有機体」として将来に向かって発展していく姿勢をとったといえましょう。
新体制で「キリスト教センター」(Center for Christianity and Spiritual Care)が新しく設置され、チャペルの正式名称は
「聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂」に変更されました。なお、当チャペルが日本聖公会東京教区の「教籍を置ける礼拝堂」であることに
変わりはありません。(2014年6月号チャペルニュースより) |
先日奉唱したプーランクの「Timor et tremor」大変難しい曲でした。聖歌隊は5月に郡山聖ペテロ聖パウロ教会
を訪問し礼拝奉仕とミニコンサートを行いましたが、その郡山にある郡山第2中学校の合唱部がYouTubeで「Timor」を披露しています。この合唱部
はNコンの常連で合唱の強豪と言われているようですが、「強弱や表現がしっかりしていて、うまい」というのが多くの聖歌隊員の感想です。この
ページの下部に私たち聖路加聖歌隊の録音をのせておきましたが、まだまだ練習が足りません。中学生に負けないように、次回はもっと良い奉唱が
できるよう頑張りましょう。 |
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、前月から下部のリンク先に「聖歌隊の歴史」というページを加えています。
2年ほど前から聖路加の聖歌隊の歴史に興味を持ち、いろいろな資料を集め、少しずつ情報を集めていました。その過程で、聖路加聖歌隊の歴史が聖公会の東京教区聖歌隊の
歴史と密接な関係があることに気付きました。そのため、情報は聖路加と教区の2本立てとし、できるだけ当時の資料をそのままのせることにしました。とは言っても、
かなり私個人の言葉での説明もあります。すでに亡くなった先輩諸氏に対して失礼な記述もあるかもしれませんが、どうかお許しください。そして間違いや誤解がありましたら
ぜひご連絡ください。 |
「ふるさと」という歌があります。子供の頃の野山の風景を遠い地から懐かしむという内容の歌で、
誰もが知っているあの歌です。聖歌隊の有志で何度か老人ホームを慰問しましたが、最後に全員で歌うのが定番になっています。
一人一人のご老人には、確かにその人のふるさとがあって、歌詞カードがなくても懐かしく口ずさむことができる歌です。 |
港区の芝公園、東京タワーのすぐ近くに私たち聖公会の東京教区の主教座聖堂でもある聖アンデレ教会があります。
その敷地の一角にある古びた建物が「東京教区事務所」です。
聖路加の聖歌隊の歴史を探してここにたどり着きました。教区事務所の2階の資料室の鍵を開けていただき、
目に飛び込んだのが整然と並んでいる「東京教区決議録」です。
聖公会の東京教区は1923年(大正12年)に日本聖公会第14総会でその設置が決定されました。
大正12年と言えば、その年の9月1日の関東大震災によって、聖路加が一瞬のうちに病院建物を失った年でもあります。
その年からの毎年の決議録の中から、聖歌隊に関連する記述を探し、1965年に聖ルカ聖歌隊が誕生するまでの
東京教区の動きを把握することが今回教区事務所を訪問した目的です。カビ臭い資料室の隣の会議室をお借りして、
おそるおそる昔の資料を拝見しました。今にも朽ちようとしている紙の資料を破壊しないように気を付けて、
歴史調べの第一歩が始まりました。
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毎年11月のレクイエム奉唱は今年で44回目となります。これまで聖路加聖歌隊をリードしてこられた先輩たち、 そして外部の多くの方々によってこの奉唱会は支えられてきました。記録によりますと、チャペルでの最初のレクイエム奉唱は昭和46年(1971年)、 オルガン伴奏でフォーレのレクイエムが奉唱されたとあります。2年後にフォーレのレクイエムが再度奉唱されていますが、この時は 聖路加聖歌隊と管弦楽で行われた記録が残っています。白黒の写真も残っていました。管弦楽は20人、聖歌隊は40人で懐かしい井原先生の 顔も見えます。(プログラムと写真をご覧ください) レクイエム奉唱はその後、オルガンやピアノ伴奏で続けられていましたが、今年のフォーレの レクイエム奉唱会には聖路加の病院の医師や看護師などで構成された「聖路加・フィルハーモニック・オーケストラ」の方々が協力していただける かもしれないという嬉しいニュースがあります。現在お話は進行中ですが、実現にむけてこれから数々の困難を乗り越えていくつもりです。 |
聖ルカ礼拝堂では主日礼拝以外にも病院や看護大学関連の礼拝や聖婚式、
結婚式、お葬式などが行われています。先日、病院の緩和ケアー病棟に入院されていたご婦人が亡くなり、
平日の夕方でしたが、司祭から聖歌隊に通夜の奉唱依頼の打診がありました。
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あけましておめでとうございます。年の初めにあたり、私たちのケビン司祭が昨年の聖歌隊合宿の講和としてお話された事柄を再確認したいと思います。
「聖歌隊は何をしているのか?」というタイトルでお話されました。聖歌隊の本質をつかんだ私たちの拠り所になるお話です。
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