今までの一言(2021年)

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Upload on Dec.03,2021

次の日曜日から聖路加の主日礼拝が再開されます。礼拝には予約が必要となります。東京都の新規感染者数はかなり低い水準で落ち着いていますが、やはり感染予防下の礼拝ですので、聖歌隊の出番はまだまだありません。今月の24日のイブ礼拝は昨年同様、大学のアリスホールで行われますが、聖歌隊はそれに参加して奉唱します。昨年行った屋外でのキャロリングは最近の隊員の健康状態等を考えて中止となりました。
このご時世ですので、聖歌隊も月に1回ズームで晩祷を行っています。毎月第4週の日曜日の午後4時からとしています。慣れないパソコンやスマートフォーンでの参加は、結構大変な様子です。担当を決めて夕の礼拝の式文を使っています。お祈り等は全員の声が揃うことは決してなく、バラバラでみんなの声が遅れて雑音の集まりですが、「声を揃える」という意識だけが参加者を繋いでいるように感じます。最後に聖歌を1曲歌います。その時は全員の音をミュートにして伴奏しか聞こえないように工夫します。他の人の声が聞こえず歌うことは大変ストレスですが、晩祷が終わった後にみんなの最近の様子をお聞きすることは楽しみです。とにかく元気でコロナ禍をいつかは乗り越えましょう。


Upload on Nov.01,2021

コロナ新規感染者の数は東京では現在、毎日50人以下で落ち着いており、12月からは制限下の礼拝が再開されるようです。聖歌隊は11月2日の夜、臨時チャペルで逝去者記念礼拝に参加する予定です。感染対策下とは言え、やっと先が少しづつ見えてきたような気がします。そんなにすんなりと上手くはいかないでしょうが、礼拝奉仕できる日は近いかもしれません。
さて、聖歌隊過去の夏合宿に関する記述も今月が最後になります。先月は第4回が清里で行われたことを書きました。その後、2019年(第53回)まで続いてきたわけですが、 第5回(1971年)から第13回(1979年)までは日曜日の礼拝奉仕の後、夕方にミニコンサート(過去にはホームコンサートと称していた)をやっていました。礼拝奉仕の後、いったん聖ルカハウスに戻り、練習し、暗くなってからショーでコンサートをやっていたのです。現在はほとんどコンサートの広報はしていませんが、当時は町内に数か所ポスターを貼らせてもらい、広報したようです。この夕方コンサートの試みは「道が暗くて怖い」等の理由で第14回からは現在のような礼拝後のコンサートに変わっていったようです。
ここ数年、コロナのために合宿は中止となっています。軽井沢合宿は聖歌隊活動の大きな幹であると言えます。希望をもって再開を待ち望みましょう。


Upload on Oct.06,2021

聖歌隊の夏合宿の歴史について先々月から書いています。今まで53回の夏合宿がありましたが、そのうち1回だけは場所を変えて行っています。1970年第4回の合宿は軽井沢ではなく清里の清泉寮に宿泊し、聖アンデレ教会で礼拝奉仕しています。その様子はこのページでご覧ください。清里の礼拝でオルガンを弾いてくださったKarl Eldridge Branstad氏(1898-1971)(ブランスタッド先生)について、一言触れようと思います。何故なら、代々の聖路加聖歌隊の隊長(田島・関・大竹氏)はブランスタッド先生に教会音楽を教えられた人たちだからです。先生は1927年から戦争を挟んで1966年まで、39年の間、立教の教授及び聖歌隊隊長として日本聖公会における教会音楽・頌詠礼拝の確立に尽力し、純粋に教会音楽を礼拝の中に位置づけられた方です。その人柄や成し遂げたことについて短く語ることは不可能ですが、残された多くの教えの中から、1955年に書かれた先生の一文をご紹介したいと思います。「教会音楽に対して取るべき我々の態度について述べよう。一番大切なことは、常に高い水準を目指すことで、もし我々が演奏会で要求し望むよりも低い水準で満足するならば、全能の神に対して価値のないものを捧げていることになる。我々は常に、十分な準備と訓練を心がけねばならない」。カール・E・ブランスタッド


Upload on Sep.01,2021

コロナ禍での礼拝再開はまだ時間がかかるようです。特に聖路加は病院ですので、慎重に事を運ばなくてはなりません。聖歌隊が礼拝奉仕できるのはまだ先のこと。今年のクリスマスには様子が変わっているといいですね。
先月、聖歌隊の第1回夏の軽井沢合宿が1967年(昭和42年)に始まったことについて書きました。情報は聖ルカハウスに残る宿帳の記録です。そして第2回合宿に関しては聖路加のチャペルニュースに残っていました。1969年(昭和44年)第3回合宿からは「合宿の栞」というガリ版摺りの小冊子で、当時をうかがうことができます。「合宿の栞」は関名誉隊長が聖歌隊室に記録として残していたものに加え、大竹隊長等に依頼して入手しました。第3回合宿は元聖歌隊隊員であった吉原さんの軽井沢別荘をお借りして行っています。聖ルカハウスに泊まった形跡がありませんので、多分予約がとれなかったんでしょうか?大きい別荘だったんでしょう。日曜日はショーの礼拝に出席したようですが、コンサートらしきものは当時まだ行っていません。食事は隊員全員が持ち回りで作りました。Sop.のO.Hさん(当時はI.Hさん)とT.Jさんは日曜日の昼食に冷やし中華を作っています。男性も担当したようです。大竹さんと白銀さんが朝食担当でしたがメニューは?になっています。何を作ったのか?
金曜日から練習をやり、朝夕就寝前の礼拝を行い、3度の食事を作り、日曜日は礼拝、月曜日にはハイキングに行き、その夜には音楽会(多分身内だけの)を行い、と若さ溢れる聖歌隊の52年前でしたね。今では考えられません。


Upload on Aug.02,2021

去年と今年の夏の軽井沢合宿は中止となりました。コロナが原因ですので、仕方ありません。それで、聖歌隊の軽井沢合宿の歴史について書いておこうと思います。
第1回の軽井沢合宿は今から半世紀以上前、1967年(昭和42年)の記録が残っています。
軽井沢の聖ルカハウスには備え付けの宿帳というのがあって、第1回の聖歌隊軽井沢合宿記録として次の文章が残っていました。
「1967年8月12日〜15日 聖ルカ・クワイヤー・サマーキャンプ 遅れての参加、そして一足お先に失礼が誠に残念。第1回の合宿として大変愉快だった。わけても音楽会での井原先生のレッドリヴァーヴァレーが印象的。関武矩」(注:音楽会とは今のミニコンサートのことではありません)
「厳しいトレーニングにもめげず、いつも朗らかな看護大学学生はすべて素晴らしい才能を持っている。これからが楽しみである。田島宣亜」(注:田島氏は第1代聖歌隊隊長)
「聖ルカ国際病院の聖歌隊員であるという誇りがさらに強まりました。おいしい空気とおいしいごはんシアワセ。大竹惟司」
上野から軽井沢まで国鉄で2時間、急行往復1460円(現在は1時間強、新幹線往復10560円)、宿代1泊400円(今は2000円)という時代でした。大竹隊長は何と、27歳!


Upload on Jul.02,2021

昨年の12月27日から東京教区では「礼拝・公祷の一斉休止」となっており、再開は「医療提供体制レベル3」になることが目安だと繰り返し説明がありました。この「医療提供体制レベル」を調べましたが、多分 このページのことを指すのだと思っています。先月の20日、国の「緊急事態宣言」が解除され、「まんえん防止等重点措置への移行」となった時点で、教区は待ちきれない様子で「礼拝・公祷の一斉休止」を解くことを決定しました。休止を解くということは再開することではありません。各教会の状況を見ながら、そろりと歩き出すことを意味しています。私たち聖路加礼拝堂でも委員の方々が議論しながら、そのうち何らかの情報が与えられるのでしょう。しかし東京都の「医療提供体制レベル」は今日現在も「4」の表示のままで、残念ながらむしろ新規感染者数は増加の傾向があります。まあ、これまで1年半近く待っているわけですから、礼拝堂の修復と同じで、じっと待つぶんにはもう慣れています。
7月という月は例年、8月の軽井沢合宿にむけていろいろ準備で忙しい月でしたが、今年の合宿やレクイエムはもう無理だと思っていますので、コロナと熱中症とフレイルに気を付けてゆっくり過ごしていきましょう。コリントの最後のほうにも書いてありました。「兄弟たち、喜びなさい。完全なものになりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます」


Upload on Jun.01,2021

この場所は聖路加聖歌隊の情報を書く場所だが、すでに1年間以上、その活動が休止している今、それ以外のことを書くことを許してほしい。
最近イライラする時間が増えたように思う。加齢によるものと言えば、それで終わりであるが、大きな原因はコロナ対策や緊急事態宣言の際の記者の質問に答える菅総理のチグハグな言葉にあると思う。オリンピック開催についての質問の答えは必ず「安全・安心、国民の命うんぬん」という、もう何度も聞いた言葉の羅列である。ちょっと前までは「緊張感をもって、だの、躊躇なく」だったが最近の常套句は「安全・安心」。この人は何を考えて発言しているのだろうか?
比較して申し訳ないが、聖路加の司祭に何かを尋ねた時、返ってくる言葉の内容はともかく、何かに包まれたような暖かさや安心感を感じる。それは司祭の愛情である。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」というイエスの言葉が背後にある。
菅総理の発言には愛情のかけらも感じないし、もちろん安心感などは全く無い。あの質問に対する答えは会話になっていない。それを小さな子供たちは見たり聞いたりしている。本当に情けない。もちろんメディアのほうにも大きな問題がある。こんなふうにイライラする自分も情けない。気持ちを落ち着けて、今日1回目のワクチン接種に行ってくる。


Upload on May.01,2021

例年、5月に聖歌隊は近隣教区の教会を訪問し、礼拝奉仕とミニコンサートを行っていました。礼拝前日に近くの旅館等に宿泊しますので、「春のミニ合宿」と呼ばれるようになりました。第一回のミニ合宿は1995年、聖路加の鎌倉セミナーハウス「アリスの家」に宿泊、練習し、翌日曜日に鎌倉聖ミカエル教会で礼拝奉仕した記録が残っています。その後10年間のブランクがありましたが、2005年、横浜教区の逗子聖ペテロ教会を訪問してからこれまで毎年、ミニ合宿は続いていました。残念ながら昨年と今年はコロナで中止となっています。聖歌隊の礼拝奉仕は聖路加のチャペル以外にも与えられた場所があったということでしょう。次に聖歌隊が礼拝奉仕できるのはいつになるのか、その時まで力を蓄えてじっと待ちましょう。
教会歴では今月は昇天日、聖霊降臨日、三位一体主日と続きます。アンセムの中でも大変難しいプロパーの録音したものを下にのせておきました。どれもこれも大変苦労しています。また挑戦したいですね。


Upload on Apr.06,2021

イースターおめでとうございます。昨年の12月27日以来、聖ルカ礼拝堂における公祷(礼拝・集会)は休止しています。公祷という言葉も最近はあまり違和感を感じなくなっていますが、よく考えると何だか変な言葉ですね。早く礼拝で皆さんと顔を合わせたいと思っていますが、東京都の感染状況はかんばしくありません。聖路加の医療関係者のワクチン接種は終わったようですが、ワクチン接種したからと言って世の中がすぐに元に戻るわけでもありませんし、まだまだ我慢の毎日が続きそうです。
ケビン司祭がサバティカル休暇に入られ、聖路加病院を3月末で退職されました。司祭としての休職は1年と聞いていますので、また来年どこかでお会いできると思います。しばしの別れと言うことで、先日の礼拝録画の際に、先生の愛唱聖歌である「Lift High the Cross」を聖歌隊からプレゼントしました。ケビン先生にはサプライズということで、こっそりと練習しましたが、やはりこの聖歌は今修復中のチャペルで響かせて歌う聖歌だとしみじみ思ったしだいです。先生、元気でお過ごしください。


Upload on Mar.01,2021

最後の主日礼拝奉仕日から1年が過ぎました。12月27日(降誕後第一主日)以降、東京教区における礼拝・公祷(会衆参加の礼拝・公祷)が休止されています。政府は緊急事態宣言を来週にでも解除したいようですが、専門家は慎重な様子です。教区は東京都の医療提供体制警戒レベルが「3」になるなどを目安に、礼拝・公祷を再開するとしています。この「医療提供体制警戒レベル」というのをネットで調べてみましたら、6指標のうち東京都は今日現在、10万人あたりの療養者数がまだレベル4の段階(体制がひっ迫していると思われるレベル)のようです。指標が6つもありますから、なかなか難しいようです。礼拝再開と言っても、感染防止策のもとでの礼拝ですから、人数制限などは以前と変わるわけではありません。聖歌隊が奉唱できる礼拝はもっと先のことです。が、待ちましょう。
暗闇行くときには 主イエスが示された 輝く星をもとめ 光に顔むけよう 光は闇を照らし 昼は夜をつつむ とりまく影をぬぐいて 光を仰ぎ見よう(聖歌476番)


Upload on Feb.01,2021

毎年2月2日はイエスが生まれてから40日目にあたり、この日は聖公会では「披献日」という祝日です。マリアとヨセフが律法の定めによって、幼子イエスをエルサレムの神殿に連れてきた時に、シメオンがイエスを抱いて「シメオンの賛歌」を歌ったという日です。聖歌隊はこの祝日のあたりに「When to the temple Mary went(Eccard)」を奉唱します。
今年の2月17日は「大斎始日(灰の水曜日)」という祝日です。この祝日は毎年、復活日(今年は4月4日)から46日前の水曜日とされており、「Ash Wednesday」と呼ばれています。多分、病院のトイスラーで「死」と「悔い改め」の象徴でもある灰を各人の額に塗ってもらう礼拝があります。私たちは額に灰の十字を付けたまま外を歩き、しばらくは額に記された十字を拭い去ることはしません。この灰の水曜日から始まる大斎節の40日間(日曜日は数えない)は、復活日を目指して私たちが自分をみつめ直す期間でもあります。
緊急事態宣言も延長されるようですね。この国はどうなるのでしょうか?ワクチン?隣の人の顔色を窺うようないやな世界にはなりたくないですね。今はコロナより籠っている人たちの生活習慣病(これ、亡くなった日野原さんが提案して作られた言葉のようです)が喫緊の課題のようです。


Upload on Jan.05,2021

昨年の大学校庭でのキャロル奉唱。寒くて暗い中19名の聖歌隊隊員が歌いました。短時間ではありましたが、主のご降誕の喜びの歌声が近所の人や病院に入院している人に届いたでしょうか?今のところ体調を崩したという隊員からの報告はありませんので、どうにか風邪をひかずに新年を迎えたことと思います。コロナ感染者数増加が止まらない不安のうちに迎えた2021年。国内のコロナ発生状況は:現在感染者数42,029名:死亡者数3,679名。今週末から政府は緊急事態宣言を出して、感染の収拾をはかるようですが、遅きに失するというのが私の感想でしょうか。効果が現れて、世の中が少しでも普通に戻り、あちこちで笑顔を見ることができるのは、いつの日なんでしょうか。その日を待ち望んで、私たちは自分で自分の身体を守るという毎日を送らなくてはなりません。
東京教区の決定により、当分の間の礼拝が中止されています。新しい年の奉唱予定アンセムを決めることもできませんので、毎月のホームページの内容も工夫しながら変えていくつもりです。


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