今までの一言(2022年)
諸魂日の11月2日、例年であればレクイエム奉唱ですが、2019年を最後にコロナによって中止となっています。残念ですが、もう集まって合唱できないのではないかと、弱気になっています。今年もレクイエム奉唱のかわりに逝去者記念礼拝を行い、過去1年間に天に召された多くの方々の名前を読み上げ、その魂の平安をお祈りしました。聖歌隊はいつもの礼拝とは違って久しぶりに顔を見せた隊員もおり、会衆席で聖歌2曲とアンセム(ケルビーニのレクイエムより、昇階唱)を歌いました。臨時チャペルの中では小声で聖歌は歌うようにとの指示もありますが、今回の逝去者記念礼拝は関係者限定の少人数でしたので、マスク越しではありますが、かなり普通の声で奉唱したかもしれません。いつも6人という小さい聖歌隊で礼拝奉仕していますが、臨時チャペルに、ちらっと本来の聖歌隊が復活しますと、若干ではありますが迫力もあり、気持ちも高揚したのは私だけだったでしょうか。次はクリスマスのイブ礼拝や限定されたキャロリングなども予定されているようです。来年のイースターごろには礼拝堂も修復が終わるとの情報もあります。微力ながら聖歌隊の礼拝奉仕を続けていきたいと思っています。 |
先月、9月8日にイギリスのエリザベス2世が老衰のため96歳で亡くなりました。イギリスの元首にしてイングランド国教会の最高権威の人でした。亡くなってからその死を悼む数々の礼拝がイギリス各地で行われました。時代は便利になったものです。その礼拝の様子はインターネットを介して、時にはライブで見ることができました。特に9月10日にロンドンのAll Saints Margaret Streetで行われたレクイエムミサは礼拝を通してフォーレのレクイエムを使ったハイマス(High Mass of Requiem)でした。私の手元に1964年、アメリカのJ.F.Kennedy大統領が亡くなった時にボストンのCathedral of the Holy Crossで行われたA Solemn Pontifical Requiem Massのレコードがありますが、私にとってはそれ以来のレクイエムミサです。ケネディの時はカソリックのミサでしたが、今回のエリザベス女王のミサは同じ聖公会でしたので、英語での礼拝でしたが、今何をやっているのか理解するのに困らなかったのは当然です。19日にWestminster Abbeyで行われた国葬はBSテレビでも生放送されました。アンセムとして私たちが奉唱したことのある数曲(パーセル、パリー、ウィリアムズ等)が使われており、女王の葬儀を身近に感じられた聖歌隊の方々も多かったと思います。葬儀が終わったあと、駅前のコーヒー屋さんで馴染みの老人が「いやあ、やっぱりイギリスですね。素晴らしかったです」と言われた時、何だかとても嬉しい思いでした。女王の魂の平安をお祈りします。 |
次週の礼拝で聖歌隊は聖歌363番(ガリラヤの風かおる丘で)をアンセムとして奉唱します。この曲は「聖路加聖歌隊員が最も好きな聖歌」に選ばれた曲です。今から8年前の2014年、聖歌隊の軽井沢合宿で参加した隊員の愛唱聖歌を調べて発表したことがあります。その席上で隊員の数々の愛唱聖歌の中からこの曲が選ばれました。歌詞は聖書の様々な箇所からその場面を想像することができます。「ガリラヤの風かおる丘で、ひとびとに話された。恵みのみ言葉を私にも聞かせてください」。イエスはガリラヤ中を回って多くの病気や苦しみの中にいる人々を癒されました。大勢の群衆がイエスに従いました。「マタイによる福音書5章1節から」には次のように書かれています。「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄ってきた。そこでイエスは口を開き、教えられた。」山上の説教(垂訓)の場面ですね。どんな風がこの時に香ったのかは分かりませんが、まさに「ガリラヤの風かおる丘で」はこの場面を歌いたいと思います。10月第2週のアンセムは、この山上の説教の内容を歌います。「Blessed are the pure in heart」。 |
何万人という新規感染者が毎日のように発表されていますが、政府は諦めたかのように方針転換し、「何もしない」ことに決めたようです。手指の消毒とマスクだけは普通のスタイルとして定着したようですが、飲み薬等、普通の風邪になるのは、ずっと先のようです。夏の甲子園は何事もなかったように開催されましたが、プロ野球では選手のコロナ感染が多くなり、試合が満足にできていない球団もあるようです。聖路加では今まで通りの感染症対策が続いており、礼拝そのものには変更された指示等はありません。そんな中で6名の聖歌隊が奉唱しているわけですが、最も必要な練習時間がとれません。場所と時間が制限されているからです。聖歌隊の隊員もこのようなコロナ禍では安心して聖路加に来ることができませんので、6名とはいえ、パートを揃えるのに苦労しています。どうにか工夫しながらアンセム奉唱を続けていきたいと思っています。8月は例年であれば軽井沢合宿の月です。もう何年も軽井沢の地を踏んでいません。この暑い夏を乗り越えて、涼しくなったら有志で軽井沢ショー記念礼拝堂に行きたいですね。 |
東京都の新規コロナ感染者数もそろりそろりと増えていますので、今後の礼拝もどうなるか気になるところですが、聖歌隊は礼拝の中で奉献の時に約2分間の奉唱時間をいただき、7月から聖歌隊活動を約2年半ぶりに再開することになりました。病院の感染症の方からもご指示をいただき、臨時チャペルの前方右サイドにある聖歌隊席で6名限定の奉唱です。2分間ですから、今までのアンセムの中から短いもの、あるいは聖歌等を選曲し奉唱します。練習時間も十分にはとれませんが、いろいろ工夫して久しぶりの第一歩を踏み出します。会衆の方々やチャペル委員の方々にも、そして何よりも天の神様に喜んでいただけるよう、精一杯奉唱させていただきます。また、これを機会に教会から足が遠のいていた聖歌隊隊員もチャペルに帰ってくることになります。主を賛美する礼拝が、私たちの奉唱で今まで以上に充実したものになるように頑張ります。6名という小さい聖歌隊ですが、応援よろしくお願いいたします。 |
6月という月に、聖歌隊は今まで2人の隊員を天国に送り出している。2006年(平成18年)6月4日、玉木真一君。そして2008年(平成20年)6月3日、白石登喜さんの2名である。白石さんに関しては、聖路加聖歌隊創立からのメンバーでアルトだったという曖昧な記憶しかなく申し訳ない。そして玉木君である。 |
聖歌522番(神ともにいまして)のお話(4) 聖公会の知人が他の宗派の教会での葬儀に参加したところ、この聖歌が歌われたそうです。そして何か違和感が・・という話を聞きました。 それで、カトリック聖歌集660番、日本基督教団の讃美歌405番、そして古今聖歌集497番の歌詞を比較してみました。まずカトリックと教団は3番まで同じ歌詞でした。聖公会の古今は「3番は省略自由」という但し書きがあり、4番まであるのが違いでした。しかしそれより大きな違いがありました。「おりかえし」の部分の歌詞が違うのです。他宗派は「また会う日まで」となっていますが、聖公会は「またおう日まで」。他宗派の歌詞の「会う」には「あう」というルビがふってありますが、聖公会の歌詞には丁寧にも「おう」に「会う」という漢字ルビがふってあるのです。古文でも使われる古めかしい表現に「逢瀬」という言葉があり、「おうせ」と言います。ただこれは一般的に「男女が会う機会」のことを意味しているので、この場合の歌詞にふさわしいかは疑問です。とは言え、聖公会は昔から「おう日まで」なのです。面白いですね。知人の違和感はこれにあったようです。 |
聖歌522番のお話(3) 「God be with you till we meet again」は直訳では「私たちがまた集うまで、神はあなたと共にいる」となります。これを、どこのどなたが「神ともにいまして」と楽譜にポインティングしたのか、調べようがありませんが、昔の人は素晴らしい仕事をしたと感心します。この曲をYoutubeで検索すると、数多くの合唱団や個人によるもの、楽器、ダンス賛美、鼻笛までがでてきます。「美空ひばり」が何かの映画の中でオルガンを弾きながら、この曲を歌っていたのも発見しましたが、どういう理由か、今は削除されているようです。先月書きましたが、この曲が「民謡的で感傷的なことから標準的な讃美歌として不適当である」という理由で米国の讃美歌から外された理由が分かるような気がします。数多くのYoutubeの中から、2020年4月に亡くなられた皆川達夫先生が立教のグリーフェスティバルで指揮をしている動画は、グリーお決まりの歌い方でしたが、確かに感傷的でした。それもいいと思いますが。 |
聖歌522番のお話(2) 先月に続き「聖歌・神ともにいまして」のお話をします。この曲は作詞者のランキン牧師が牧会していたワシントンの第一会衆教会で最初に歌われ、彼が編纂したGospel Bellに収められて一般に紹介されたとなっています。今日では讃美歌の枠を超えて、世界的な送別の歌になりました。日本でも日本基督教団の讃美歌(1954年版)405番、カトリック聖歌集660番、聖公会では古今聖歌集の497番、現在の聖歌集522番として親しまれているこの曲ですが、何と、米国の讃美歌からは姿を消しているのです。その理由が「民謡的で感傷的なことから標準的な讃美歌として不適当である」ということ。どこのどなたが決めたのか分かりませんが、現在の「The Hymnal 1982」にはこの曲はのっていません。ケビン先生にこのことをお尋ねしたところ、「調べた限り、唯一の聖公会聖歌集に入っているのは、米国聖公会の黒人会衆用に作成されたWonder, Love, and Praise (Hymnal 1982の 補足)です。第801番となります」というお答えでした。いい曲なのに標準的な讃美歌って、何でしょうか?不思議ですね。 |
聖歌522番のお話(1) 日本聖公会が設立されたのは1887年です。その5年前の1882年(明治15年)、ちょうど140年前のお話です。この年に上野動物園が開園され、日本銀行が開業しました。そして板垣退助(自由民主党)が遊説中に襲われるなど治安に問題があった年でもあります。そんな時代にアメリカ合衆国の首都ワシントンの教会を司牧していたJ.E.Rankin(ジェレミア・ランキン)牧師が教会に集まった信徒のために「キリスト教的な送別の歌」を作詞しました。彼は作詞するにあたり、「good-bye(さようなら)」の語源が「God be with you(神があなたとともにありますように)」であることにヒントを得、その意味を聖歌で表現したいと思っていました。マタイによる福音書28章20節にも「I am with you always, even unto the end of the world(わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という文章があります。それにもヒントを得たのでしょうか。ランキン牧師は作詞したものを、ニュー・ジャージー州の小学校教師であるW.G.Tomerに作曲依頼しました。トマーは専門家でもなく、知名の士でもありませんでしたが、それをうけて出来あがった曲が、全米で愛唱されるようになり、今日では聖歌の枠をこえて、世界的な送別の歌になりました。 |
新しい年を迎え、昨日5日は小寒(これを「こさむ」と読んだ可愛い子がいる!)。小寒は「寒の入り」とも呼ばれます。小寒から節分までの30日間を「寒のうち」と言い、その中に小寒(しょうかん)大寒(だいかん)があります。小寒は「寒さがだんだん厳しくなっていくころ」大寒は「最も寒さが厳しいころ」という意味を持ちます。いやあ、寒いですね。 |