今までの一言(2024年)
先月末、聖歌隊で最長老であるK氏が80歳の傘寿を迎えた感謝の会が開かれ、ほとんどの聖歌隊員が参加し、歌ってお祝いしました。K氏にはこれからもまだまだ元気で奉唱に参加してほしいと思います。 |
2019年11月2日にモーツアルトレクイエムを奉唱してからもう5年が経とうとしています。このレクイエム奉唱は1971年から毎年続けられてきました。ほとんどがピアノ伴奏でしたが、聖ルカのオーケストラとの協演もありましたし、フォーレをハモンドオルガンの伴奏で奉唱したこともありました。また、近年は私たち聖路加の聖歌隊だけではなく、他の教会や合唱団の方々も加わったフェスティバルクワイアーとして奉唱することが続いていました。残念ながらコロナ感染症対策で合唱そのものが制限され、この数年は逝去者記念礼拝として聖歌とレクイエムの一部を奉唱する形になってしまいました。フェスティバルの方々ともずいぶんお会いしていませんが、皆さんがお元気でどこかで歌っていることを願うばかりです。 |
まだ暑さが続く9月になりました。この月は立教大学が築地から現在の池袋に移った月です。と言っても1918年、大昔の話になりますが。ついでに古い話ですが、1945年の9月には聖路加の病院と大学の建物全てが米国により接収され、病院には「米国陸軍第42病院」という看板が掲げられました。聖歌隊関連では1972年の9月に毎月第2日曜日の奉唱に加え、第4日曜日も奉唱することになりました。そして何といっても忘れられないのは9月11日のアメリカ同時多発テロが2001年に起こったことですね。あれからの世界はどこかで紛争が多発し、世の中が不安定のまま現在を迎えているという、神様に怒られることを人間は平気で行っています。そうそう、話は変わりますが、聖歌隊が他教会訪問を企画実行しているのは9月がほとんどなんです。ざっとあげると、聖パトリック、神愛、聖愛、浅草ヨハネ、千住基督、東京諸聖徒など。そろそろコロナ明けということで、他教会訪問も再開できたらいいですね。 |
毎日が真夏の暑さで参っている人も多いと思います。コロナ罹患も何だか増えてきているとのことで、安心して歌えるのはいつになることやら。それでも月に2回の礼拝奉仕は守っている聖歌隊ですが、メンバーが増えてきているわけではなく、いろんな事情で休隊や退隊する人がいるため、奉唱する人数は限られています。 |
4月に上田司祭が病院チャプレン定年を機に、東京教区の人事異動で三光教会に異動となり、聖路加礼拝堂には成成鍾(ソン・ソンジョン)司祭が赴任されました。そして礼拝で変わったことと言えば、昇階聖歌が加わり、陪餐方法がインティンクションの形式となり、先月からは礼拝後のお茶が再開されました。病院付属の礼拝堂ですので、まだまだマスク着用などは以前のままです。コロナ対策の初期には多くの行動制限がありましたが、すこしづつ制限が解除されているような感じがします。でも、本当にそれでいいの?という声も聞かれます。コロナを機に生活スタイルが変わりましたが、やはり私たちは以前に戻るということだけではなく、この数年を活かした生活をしていく人間でありたいと思います。 |
聖歌隊の女性が活躍しています。元来、聖歌隊の指揮者は隊長が務めていました。隊長が男性でなければならない理由は何もありませんが、初代の田島さん、二代目の関さん、三代目の大竹さん、そして四代目の大西、全員が男性で立教学院諸聖徒礼拝堂聖歌隊の出身者です。立教の聖歌隊では特別に指揮の練習をしたわけではありませんが、それこそ初代のブランスタッド隊長、そして弟子の猿田隊長の指揮をする姿を毎日見て、覚えて育ったと言えましょう。聖路加聖歌隊では近年の男声高齢化とメンバー減少に伴い、音楽委員の中から女性の方々にも指揮をお願いしています。本当は歌いたいのでしょうが、無理を言って指揮してもらっています。また伴奏つきのアンセムをなるべく多く取り入れましたので、以前からお話しているハモンドオルガンを弾いてくれているのも、聖歌隊の女性です。大竹名誉隊長が日頃からおっしゃっていました。「その日与えられたメンバーで最良のアンセムを歌う」。聖歌隊全員、力を合わせて主を賛美しましょう。 |
今月の12日に聖歌隊が奉唱する曲は「Lift High the Cross」というイギリスの讃美歌です。この曲の歌詞を日本語で歌います。本来英語の歌詞を日本語に訳して歌う場合、そこには大変難しい言語の壁が存在し、単純に訳しただけでは、とうてい歌えないことになります。いわゆる「ポインティング」の問題が発生するわけです。この曲はケビン司祭の愛唱聖歌のひとつであり、数年前にケビンがこのポインティングに挑戦し、現在にいたるものです。曲は「Lift High the Cross, the love of Christ proclaim till all the world adore His sacred Name」という歌詞から始まります。当初、司祭の訳は「かかげよあいの十字架、地のはてまで み名あがめ」でした。数人の意見から「せかいじゅう み名あがめよ」となり「み名あがめよ」が「み名をあがめよ」に変わり、最終的に「よびとよ み名をあがめよ」に落ち着きました。英語の歌詞は1番から4番まであり、それぞれ、時間をかけてポインティングを試み、現在のものになっています。これらの工程で、この曲が持っている意味を深く考えることができたことに感謝するとともに、礼拝堂で日本語で奉唱できることにも神様の導きを覚えます。 |
1934年4月、アメリカのローレンス・ハモンドは「教会にあるパイプオルガンや無声映画の伴奏として活躍していたシアターオルガンを家庭で楽しみたい」という考えからハモンドオルガンを発明しました。パイプオルガンのパイプの代わりに、「トーンホイール」というモーターで回転する歯車状の金属製円盤と、近接して設置された電磁ピックアップにより、磁界変化の波を音源として出力するという独特の揺らぎのある音色が生み出されたのです。先月も書きましたが、この初期のモデルA型は全世界で2500台販売され、聖路加のシリアルナンバーは1993となっています。専用のスピーカーは祭壇に向かって左上のバルコニー部分に「トーンキャビネットB-40型」として設置されています。 |
明治時代初期、外国人宣教師がキリスト教の伝道のために来日、その際に日本にリードオルガン(足踏み式オルガン)が持ち込まれ、教会や学校の音楽教育のために使用されることになりました。私の子供の頃、小学校で女の先生が弾いている足踏み式オルガン(リードオルガン)に合わせて、大きな声で唱歌を歌った思い出があります。聖路加にもとても古いリードオルガンが最近までチャンセルの隣の通路にありました。さて、1936年12月に聖ルカ礼拝堂が聖別された当時の写真が残っていますが、チャンセルの左側に、現在と同じオルガン用の木の枠が写っています。正確には1937年に聖路加にハモンドオルガンが導入されたという記録が残っています。ハモンドオルガンは1934年、ローレンス・ハモンドによって発明されたものです。そして製品化されてから1938年までの5年間に世界で約2500台のハモンドオルガンが販売されました。これはハモンドオルガン・モデルA型という初期のもので、日本ではフェリス女学院、神戸女学院、そして聖ルカ礼拝堂の3台しか確認されておらず、現在稼働できているものは聖ルカ礼拝堂だけといいますから、大変貴重なオルガンなのですね。同時にもう部品が残っていませんので、大事に使用しなければなりません。 |
今年、聖歌隊はアンセムを28回奉唱する予定ですが、そのうち15回は伴奏つきのものを予定しています。礼拝堂で伴奏となると、聖路加の礼拝堂を象徴する、ガルニエのパイプオルガンを使いたいところですが、残念ながらパイプオルガンは限られたオルガニストしか伴奏できませんし、聖歌隊席からパイプオルガンが離れているため、合唱と伴奏を合わせるのが難しいという理由で、聖歌隊は説教台の下にあるグランドピアノ、もしくはチャンセルにあるハモンドオルガンのどちらかを使うことになります。パイプオルガン設置の際、今ある聖歌隊席の真向かいにパイプオルガンを置くというアイデアもあったようですが、諸々の事情でパイプオルガンと聖歌隊席は離れてしまいました。1936年、現在の礼拝堂が竣工した時から、1988年、ガルニエのパイプオルガンが設置されるまでの間、使われていたのはハモンドオルガンです。次回はまだ現役で使われているこのハモンドオルガンについて調べた事柄をお知らせしようと思います。 |
昨年は5年ぶりに聖ルカ礼拝堂がその修復を終え、聖歌隊は主日礼拝をいつもの聖歌隊席で奉仕することができるようになりました。マスクをつけたままでの奉唱は若干苦しさもありますが、礼拝堂で歌う喜びをみんなが感じた一年だったと思います。しかし、コロナはかなり収束したとはいえ、まだまだ合唱できる環境は戻ってきていません。聖歌隊にとって良き奉唱のためにかかせない練習時間は大幅に削られ、まだ日曜日礼拝後の練習以外の見込みがたっていません。病院の聖歌隊ゆえの慎重な行動が求められています。そのような状況下でも、私たち聖歌隊は倒れることなく、神様の支えによって声高らかに主の栄光を褒めたたえ歌う力を与えられています。主に感謝しつつ共に歩いていきましょう。 |