今までの一言(2025年)
今日は灰の水曜日です。朝8時半からの礼拝に出席し、額に灰で十字の印を司祭からいただきました。これから復活日までの40日間、大斎・小斎として身を律する期間となります。それで、今月はちょっと気の重い話をします。聖ルカ礼拝堂聖歌隊の未来のお話です。現在、男声は5名、年齢は全員が75歳以上になっています。足腰が弱り、歩くのも遅くなると同時に聖歌隊員としてまともな声を出すことができたのは数年前のお話です。どなたかが声が震えるようになったら引退だとおっしゃっていましたが、もうすでにほとんど全員が美しい声を出すことが難しくなってきました。テナーは高い音が出せず、ベースは音を保つのに苦労するようになりました。こんなことは数年前から予測できていたことで、だから若い男声を聖歌隊になどという話題は実質どこかにいってしまい、その努力も足りず、あと数年で聖ルカ聖歌隊は女声だけの聖歌隊になるでしょう。そしてその女声も男声と同じく、年齢とともに声が出なくなり、聖歌隊を去ることになるでしょう。残った使える声にも限りがあり、さて、聖ルカ聖歌隊はどうなるんでしょうか?東京教区の教会で聖歌隊をもっている教会のほうが少なく、私たちのような聖歌隊がある教会が稀ではあります。しかし、聖歌隊の現役として将来、礼拝堂に聖歌隊を残したいという願いは私だけのものではないはずです。私が個人的に考えているのは、聖路加国際大学に聖歌隊という若いグループが存在するので、その聖歌隊が礼拝堂聖歌隊として活動してくれないかという夢のようなお話です。大学の聖歌隊はもちろん看護を職業として考えて学んでいる方々なので、学業に忙しく日曜日の礼拝に出席して歌うことは難しいかもしれません。しかし数年先に現在の聖ルカ礼拝堂聖歌隊が生き残っていることは考えられません。神様はそんなことはとっくに知っているはずなのに、何のヒントもお与えになりません。頭をしぼって考える毎日が続きます。 |
古い話で恐縮ですが、私が学生時代に在籍した立教の聖歌隊では、年間行事としてレクイエム奉唱がケルビーニ、モーツアルト、フォーレ、ブラームスの4曲で、ちょうど学生生活4年間で経験できるようになっていました。奉唱時期は毎年11月の諸魂日が決まり事でしたが、その日に大学の学園祭とぶつかるようになり、チャペルの外の騒音が気になるようになり、レクイエム奉唱の時期はだんだんずれていき、諸魂日ではない普通の日に代わっていった記憶があります。宗教色が薄れ、チャペルで行うひとつのコンサートとして、このレクイエム奉唱は今でも続いているようです。もうひとつの大きなイベントとしてマタイ受難曲の奉唱がありました。バッハが新約聖書のマタイによる福音書、26・27章のキリストの受難を題材に聖句、伴奏つきレチタティーボ、アリア、コラールで構成されたもので、バッハの音楽の中でも最高傑作ともいわれるものです。全曲では3時間ぐらいかかる大きな曲ですが、その抜粋を立教の聖歌隊は奉唱しました。毎年、聖歌隊長による個人指導の結果、数人の聖歌隊員がマタイ受難曲を歌えるという名誉な時間を得たわけです。来月の復活日前主日に聖ルカの聖歌隊は、マタイ受難曲の中のイエスが十字架につけられる場面をアンセムとして奉唱する予定です。福音史家(エバンゲリスト)が高齢で声が出せるかどうかなど、数々の不安はありますが、気持ちをこめて奉唱したいと思います。復活日前主日という意味のある日にこれを奉唱できるのは大変幸せなことだと思います。 |
新しい年を迎えました。毎年のことですが、クリスマスを終えて身体の疲れがまだ身体のどこかに残っているのがこの時期です。昨年の聖歌隊活動をいろいろ反省しつつ、この1年をどうやって過ごそうかと思いめぐらすのですが、なかなか考えがまとまりません。一応の活動計画は作成したのですが、今年も何が待っているのか?神様はどんな試練をお与えになるのか?考えだすと、一歩一歩に力が入り、よろよろと老人相応の歩き方になってしまいます。それでも前を向いて皆さんと一緒に明日を迎えようと思います。ご協力ください。よろしくお願いします。 |