今までの一言(2011年)

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Upload on Dec.12,2011

降臨節に入りました。クリスマスを迎える準備で何かと忙しい日々を過ごしています。今年は3・11という日本を襲った大きな試練がありましたが、私たち聖歌隊にも名誉隊長の召天という大きな悲しい出来事がありました。もう昔のことを覚えている隊員も少なくなってきました。そんな中で私たち聖ルカ聖歌隊の年史を作成することを考えています。古い情報は散乱しており、保管状態も決して良いものばかりではありませんが、時間をかけて少しずつパソコンに情報を打ち込んでいます。古くて変色しているチャペルニュースや、写真、そして病院の80年史などの紙情報を参考にしています。人間の記憶なんてものは決してあてにはできません。3・11の津波で多くの情報が失われ、歴史が忘れ去られていくのを必死に取り戻そうとしている方が、多分たくさんいらっしゃると思います。過去の出来事は振り返って反省するばかりではいけませんが、しっかり記憶して明日に繋げていきたいと思っています。


Upload on Nov.04,2011

毎年、11月2日の諸魂日には、この1年間で亡くなった方々の魂の平安を祈るレクイエム奉唱会が開かれます。今年は116名のお名前を読み上げ、65名のフェスティバルクワイアーによってモーツアルトのレクイエムが奉唱されました。満員になったチャペルで聖歌隊は一生懸命に歌い、聴いている方々は様々な思いで亡くなったかたを偲び、聴かれたのではないかと思います。天国で今年亡くなった関名誉隊長もひやひやしながら聞いていてくれたと思います。フェスティバルクワイアーは私たち聖路加の聖歌隊に加え、他の教会や合唱団等から奉唱参加を希望なさった方々で構成されています。9月初めから毎週金曜日の夜、練習しましたが、体調を崩して参加を断念した方もおられます。奉唱だけではなく、舞台作り等の力仕事でもご協力いただきました。本当にありがとうございました。来年はケルビーニを奉唱する予定です。


Upload on Oct.04,2011

聖歌隊は今月の2日、聖路加の一番近くにある隅田川沿いの月島聖公会を訪問し礼拝で奉仕いたしました。月島聖公会は、今年の2月に信徒の方々の熱い思いと祈りのうちに永年の夢でありました、聖堂と月島聖ルカ保育園の建て直しを、達成することができました。旧園舎は耐震性の問題から以前より園児の安全を如何に確保するか問題になっていましたが、完成の翌月に襲った、東日本大震災にも神様の大きなお恵みのうちに全く被害がなく、皆様安堵されたことでした。明るくきれいな3階にある聖堂では、18世紀のパイプオルガンの響きと共に、信徒の皆様と聖歌隊合わせて40名以上の出席者で、豊かでやすらぎのある礼拝を捧げられたことを感謝いたします。これから月島聖公会がこの地での宣教の拠点になり、ますます発展されますようお祈りいたします。(以上 聖歌隊 内田記)

聖路加国際病院の名誉院長である日野原先生が今月4日に100歳になります。聖路加で70、80歳の方がまだまだ年寄り扱いされないのは日野原先生の存在が大きいのだと思います。10月8日の土曜日にホテルオークラで日野原先生の誕生日パーティが開かれます。その宴会で病院のオーケストラがヴェルディの「乾杯@ La Traviata」を演奏することになり、その合唱を聖歌隊が受け持つことになりました。普段オペラとは縁遠い聖歌隊ですが、慣れないイタリア語に四苦八苦しながら、練習しています。眼科の越前先生が指揮をなさいます。

今年のレクイエム奉唱曲はモーツアルトです。11月2日の諸魂日にむけて、毎週金曜日にフェスティバルクワイアーの方々と共に練習しています。東日本大震災で亡くなった多くの方々のことを想い、また特に先月、天に召された聖歌隊名誉隊長、関さんの魂の平安を祈って歌うつもりです。本番は午後7時からです。


Upload on Sep.04,2011

8月9日の未明、聖ルカ礼拝堂聖歌隊の名誉隊長であるリチャード関武矩氏が天に召されました。関名誉隊長は1959年の聖歌隊創立時から40数年、隊長として私たちを導き、2002年に現隊長である大竹惟司氏に隊長を譲られてからもベースの一員として、また最年長者として私たちに聖歌隊隊員としての見本を示してこられました。どんな時でも決して乱れることなく、聖歌隊隊員にとっては父のような存在でした。数年前から病気と闘われていたことは皆が知っていましたが、こんなに早く天国に行ってしまわれて、隊員の悲しみは大きなものがあります。
まだ気持の整理がつかない状態で聖歌隊は26日から軽井沢合宿に突入しました。関さんを失った辛さは私たちの歌声にも影響し、ショー記念礼拝堂でのミニコンサートでも涙で歌えない隊員がいたほどです。早くこの悲しみから立ち直って、天国の関さんを安心させたいと思います。


Upload on Aug.04,2011

先月、私たちが歌うプロパー(固有文)の歌詞の出所が不明であると書きました。その後、2002年に発行された立教大学教会音楽研究所ニューズレターの中で、立教聖歌隊の先輩である永田仁氏が固有文のことを書かれている文章を見つけました。永田氏によると、歌詞の内容は全てローマ・カトリックの固有文と一致しているが、その邦訳文の原本は不明とのこと。すぐにカトリックの友人に電話して、内容を説明し、「主日のミサ典書(1956年発行)」という礼拝用書を入手しました。その結果、ほとんどのプロパーの歌詞が「主日のミサ典書」と一致しており、その出典は1917年初版の文語訳(大正改訳)新約聖書および文語訳(明治訳)詩篇と判明しました。神保町の友愛書房に行って昔の聖書を探しましたが、残念ながら手に入れることはできませんでしたが、ネットでそれらを探すことが出来ました。当時、立教聖歌隊の隊長であったブランスタッド先生が副隊長であった猿田長春先生を通して、芸大の若い作曲家に渡した歌詞がおぼろげながら見えてきたわけです。半世紀以上の年月の重みを感じながら、私たち聖歌隊は今年の軽井沢ショー記念礼拝堂でのミニコンサートで、それらのプロパーを歌います。8月28日の礼拝後です。


Upload on Jul.05,2011

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
(マタイによる福音書11章28節から)
先週の聖餐式で福音書として読まれたものの一節ですが、どこかで聞いた言葉だと思って調べましたら何と、「諸聖徒日のプロパア・戸田邦雄氏作曲」の中のグラデュアル(昇階唱)の歌詞の一部分でした。
「すべて労するもの、おも荷を負うものよ。われに来たれ。われなんじらをやすません」これがプロパーの歌詞です。
以前にも書きましたが、私たち聖歌隊は教会の主要祝日である復活日や昇天日、聖霊降臨日、三位一体主日、降誕日などに立教学院教会音楽学校のために作曲されたプロパー(固有文)を奉唱しています。すでに教会音楽学校はなくなり、プロパーを含めた楽譜類は散逸していますが、どうにか残された楽譜コピーを使って歌い継いでいるわけです。ほとんどのプロパーは1950年後半から1960年前半に作曲されたものですが、その歌詞は当時、立教大学聖歌隊の隊長であったブランスタッド先生によって作曲者に渡されたものだと思われます。先生が聖書あるいは祈祷書のどの部分からプロパーの歌詞を抜粋したのかを類推することは、聖職者ではない私たちには大変難しい作業です。冒頭の聖書の言葉は違う意味で私の心に残る言葉になりました。


Upload on Jun.06,2011

5月の最終日曜日に聖歌隊は伊東の伊豆聖マリヤ教会を訪問、奉唱する機会が与えられました。 当日は台風2号が近づいており、大雨で一部の道路が通行止めになったこともあり、私たち聖歌隊の訪問を楽しみにしていた 数人のお年寄りが教会に来ることができなかったことは残念でした。それでも20人弱の信徒の方々が私たち聖歌隊を歓迎してくれました。 礼拝後に聖堂でミニコンサートを開き、会衆と一緒に「ふるさと」を歌いました。その後、会館に移り、愛餐会で婦人会手作りのカレーライスやサラダをいただき、昔の話で盛り上がり、最後に全員で聖歌を歌いました。 大変楽しい時を過ごすことができました。ありがとうございました。


Upload on May 10,2011

東日本大震災の日から2ヶ月が経ちました。計画停電はなくなり、買占めなどのパニック現象は収まったものの、被災地ではまだまだ以前のような日常生活を送ることは難しいようです。多くの方々がいまだに避難所で不自由な生活を送っておられます。加えるに、福島の原発の状況はほとんど進展が見られず、原発から避難している方々は、昨日からやっと自宅への一時帰宅が認められた(それも集団で2時間だけ)ようです。目に見えぬ放射能という蓄積が、これからの日本をどれだけ苦しめるのかと想像するだけで、気がめいってしまいますが、人々個々人の生命力に期待するしかありません。政治なんかは全くあてになりません。
さて、聖路加のチャペルのホームページが新しく出来上がりました。この聖歌隊のホームページにもリンクしています。是非ごらんください。


Upload on Apr.4,2011

3月11日に発生した東日本大震災によって、亡くなった方々は1万2千人を超え、行方不明者と合わせると実に2万7千名以上の方々が地震や津波によって命を落としました。11日と言えば、米国のツインタワービルのテロが発生した日も同じ11日。歴史は非情にも何度も大きな試練を人間に与えます。福島の原発事故の報道が繰り返されるたびに、人間の非力さを思い知らされる毎日です。聖公会でも東北教区や北関東教区の教会がかなりの被害を受けました。東京でもまだ毎日のように余震があり、町は電力不足による節電対策で暗く、買占めのため、また物流が所々寸断されているため、スーパーの棚から食料品や水といったものが消えています。こういう時だからこそ、人の絆が試されていると思います。祈りとともに自分は何ができるのか考えながら復興という言葉を共有したいと思っています。そして多くの亡くなった方々を決して忘れることはありません。「いっしょに生きる」をお読みください。


Upload on Mar.2,2011

今年の復活日は4月24日の日曜日です。去年は4月4日でした。毎年、桜の季節だという記憶がありますが、今年は何だかとても遅く感じます。教会暦で言う祝日は復活日(移動祝日)と降誕日(固定祝日)を軸に成り立っています。復活日は3月21日(春分の日)以降の満月の後の最初の主日と決められていますので、毎年、早くなったり遅くなったりします。月齢カレンダーによりますと、今年は3月20日が満月で、次の満月が4月18日となっていますので、大変遅い復活日となっているのです。今年より遅い復活日は2038年まで来ないようです。また、ややこしいことに、グレゴリオ暦を用いている西方教会(カトリックや聖公会など)とユリウス暦を用いている東方教会(ギリシャ正教など)ではおのずと計算が異なってきますので、年によっては復活日が異なるといったこともおこります。


Upload on Feb.12,2011

先月の23日に聖歌隊の総会が開かれました。総会ではこれからの聖歌隊の様々な課題が24名の出席者によって話し合われました。隊長からは今年奉唱する予定の23曲が発表され、「指揮をよく見て歌うように」という、合唱では基本的な事項ですが、繰り返し注意されました。今年の曲には新曲が無く、ある意味では暗譜して歌える曲が多く含まれています。「指揮をよく見て表現し、まわりの音を聴きながら曲を完成させていく」ことが今年の聖歌隊に与えられた最も大切な課題ではないでしょうか?当たり前と言えば、当たり前のことです。それをどうやって個人個人が自分の課題として実行していくかが問われる1年です。精一杯練習に励み、主を賛美する礼拝に私たちの声を響かせていきたいものです。主に感謝。


Upload on Jan.11,2011

2006年に聖路加の聖歌隊の奉唱曲数が96曲であるという記録がありました。2010年が終わった時点で見直してみますと、アンセム数としては111曲になり、この4年間で新曲が15曲増えたことになります。又、合宿のコンサートでは、聖歌や世俗曲を30曲程度歌っています。リストを別のページでリンクさせています。
毎年この新年の時期の隊長の仕事にアンセム選定作業があります。最近はキリスト教の暦をあまり意識しない聖歌選びが礼拝では行われているようですが、アンセムはその歌詞の意味から当日の福音書などにふさわしい曲を選ばなければなりません。また新しい曲を考えるのも隊長の仕事になっています。今月の23日に聖歌隊総会が開かれますが、その席で今年度の奉唱曲が発表されます。どんな曲が選ばれるのか楽しみです。


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