今までの一言(2023年)
オーストラリアのシドニーの北のほうにSt.John Evangelist Gordonという小さな教会があります。以前、内田夫妻がオーストラリアに転勤となり、その教会で聖歌隊奉仕をしていたと聞きました。大竹名誉隊長も一度訪問したことがあるそうです。実は私はこの教会の聖歌隊の働きに感動しています。そして勇気づけられています。私たち聖路加の聖歌隊は高齢化したとは言え、20人以上の聖歌隊員をかかえていますが、この教会の聖歌隊員は大体6人から8人、それもどちらかというとお年を召した方々。それなのに聖餐式では聖歌はもちろん詩編や難しいアンセムを立派に歌っているのです。私たち聖歌隊が苦労して歌っている曲を、何気にさらっと歌っているのです。さらにフェイスブックで毎週、全世界にむけて礼拝の様子を放映しています。一度見て聞いてください。きちんとキャソックを着てプロセッションをして、立派に聖歌隊の役目をはたしています。神様の力は偉大です。https://www.facebook.com/stjohnsgordon |
今年のクリスマスイブの深夜礼拝では6年ぶりに「天使ミサ」が復活します。2018年に礼拝堂の天井からの落石による礼拝堂の修復が始まり、長い間「天使ミサ」は封印されてきました。聖歌隊の歴史のページにも書きましたが、1970年には深夜唱詠聖餐式が行われており、竹田真二司祭や井原司祭によって「天使ミサ」が歌われていたと思われます。その後、井原司祭の退任(1991年)に伴い深夜ミサは西村司祭による「マリアミサ」に変更され数年続きましたが、1995年には帰宅が困難などの理由によりいったん深夜ミサは中止されています。2000年に井原司祭が復職され、イブ24日午後11時から「天使ミサ」は復活し2017年まで、その伝統は守られてきました。やっと復活予定の「天使ミサ」なので、精一杯奉仕させていただこうと思っています。高齢化した聖歌隊ですが、みなさんよろしくお願いいたします。 |
7年前の今日、10月2日、聖歌隊の関敦子さんが天に召されました。46歳という若さでした。その5年前には敦子さんの父である、聖歌隊名誉隊長の関武矩氏も病気で亡くなっていました。私たちは「関パパとあっちゃん」という呼び名で親子を愛していました。あっちゃんは関名誉隊長が諸魂日に指揮されるレクイエムの伴奏者として18歳の時に、聖路加聖歌隊にデビューし、その後、長い間オルガニストとして、又アルトの一員として聖歌隊を支えてくれました。いつも控えめに、しかし一生懸命にオルガン伴奏をしてくれる可愛い女性でした。他方、お酒を好み、よく飲み、猫を可愛がる姿も私たちの目には焼き付いています。今ごろは天国で親子でしあわせに暮らしていることでしょう。また会う日まで。 |
またまたうっかり更新を忘れていました。それもこれも暑い日が続いて、いつまでも秋の気配を感じない日が多かったせいでしょうか。聖歌隊はこの夏の合宿も中止でしたし、病院のコロナ感染症対策もずっと続いている関係上、練習時間がとれず苦労しています。礼拝後に練習はしていますが、やはり礼拝奉唱後は全員、年齢のせいもあり、疲れているようで長時間の練習はできません。なるべく簡単なアンセムを選んだはずだったのですが、やはりどんな曲にも落とし穴があり、油断できません。どの曲にも真剣に向き合うことが今後とも必要だと感じています。そして今できる最高の力で神様を賛美し続けたいと思っているのが、聖路加聖歌隊全員の願いです。神様、どうか私たちの心と唇を清め、共に良き備えをもって礼拝にのぞみ、あなたの栄光を現わさせてください。 |
今月の9日は聖歌隊名誉隊長の関武矩氏の召天記念日です。関さんのいろいろなお話は過去のホームページにありますので、再びご覧いただくと幸いです。うだるような暑さの日、聖路加国際病院に入院中の関さんをお見舞いに行ってからもう12年たちました。関さんは辛い身体だったんでしょうが、ベッドに座られて、いつもと同じく静かに私とお話しました。お互いにこれが最後の会話になると分かっていましたが、今年の軽井沢合宿の曲目のこととか、最近の聖歌隊の様子とかが話題になり、病気のことには一切触れられませんでした。「また来ます」と言って握手をして病室を出る時には、涙を見せたくなくて背中ごしに手を振りました。関さんも握手をした後の目は涙で一杯でした。付き添っていたあっちゃんも気を利かして病室の外で時間をもてあましていたようです。関さんとのお別れは、キリスト教徒として、神様の元に行く幸せな旅立ちとお互いに分かってはいますが、現世と天国はとても遠く、再会できるのはかなり先のことだろうと思うと、帰りの車の中でも涙が止まりませんでした。先に神様に召された先輩、そして友達、いつかお会いしたらまた一緒に歌いましょう。 |
私たち聖歌隊は聖ルカ礼拝堂の奉仕団体です。奉仕とはどういうことでしょうか? 例のAIに質問してみました。その答えは以下の通りです。 |
最近、対話型AIが話題となっています。今までの検索エンジンによるものとは違って、AIに質問し、答えを得るものです。「聖歌隊の高齢化が進み、特に男声パートが少なく、合唱のバランスに問題があります。何か有効な対策はあるでしょうか?」とAIに聞いてみました。答えは次のとおりです。 |
4月28日(金)の午後3時から、聖ルカ礼拝堂の竣工記念礼拝が首座主教の武藤主教のメッセージ、東京教区主教の高橋主教の司式で行われました。平日ですが、聖歌隊は15人が参加し、キャソックを着て聖歌を奉唱しました。礼拝の最後には新しく聖路加国際大学のオルガニストになられた高橋博子さんがバッハの前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV552を後奏としてパイプオルガンで聞かせてくれました。とても迫力のある曲で大学・病院・礼拝堂という三位一体を思っての選曲だったようです。当日の様子はYoutubeで配信されています。是非ご覧ください。 |
復活日の礼拝は修復が終わった礼拝堂で5年ぶりに行われました。新しくなった礼拝堂は天井の色も塗り替えられ、全ての箇所が元通りとはいえ、綺麗になっていました。そして、音、は素晴らしい。パイプオルガンの音も久しぶりに聞きましたが、やはり、素晴らしい。聖歌隊の音も、素晴らしい。全てが神様の恵みと感じることができ、感動しました。このような場所にふさわしい奉唱を聖歌隊は目指さなければなりません。5年という月日は長かった。聖歌隊も年をとった。これから新しい聖歌隊のカタチを模索して、感謝しつつ歩んでいきます。今日16日から礼拝に参加するための予約が不必要になりました。月に2回程度の礼拝参加という縛りもなくなり、誰もが自由に礼拝に参加できることになりました。とは言っても、礼拝式次第はまだまだ感染症を見据えたものになっています。油断しないように、やはりソロソロと聖歌隊は歩き出したいと思っています。 |
しばらくの間、私自身の怪我やリハビリのため、ホームページの更新ができていませんでした。今月から再開します。聖路加聖歌隊は臨時チャペルで6名、2分の奉唱を続けてきましたが、長い修復が終わって今月の20日に、業者から礼拝堂が引き渡されることになりました。2018年の6月に立ち入り禁止となってから4年と10カ月、やっと聖歌隊席で奉唱できるかと思うと感無量です。予約が必要だった礼拝も4月第3日曜日から、自由に礼拝に参加できることになりそうです。このままコロナが終息すればいいのですが、いいえ、まだまだ安心はできません。用心しながら新しい礼拝堂での奉唱が続くことになります。礼拝堂での最初の礼拝は復活日の礼拝です。聖歌隊は「ヨセフの愛の園にて」を混声4部で歌います。以前、男声4部で何度か歌ったことがある思い出の曲です。この4年間、聖歌隊メンバーはまともに声を出すことすら禁止されていましたので、復活日からはソロソロ歩き出します。そしてどこかの時点で充分な練習ができるように計画しようと思っています。休んでいた隊員たちと久しぶりに顔をあわせるのが楽しみです。 |
私ごとで恐縮ですが、昨年の11月末に不注意から足首骨折し、入院、手術を経て12月中頃に退院しました。自宅の2階にあるパソコン部屋までの階段がのぼれず、ホームページの更新ができませんでした。今日、約1か月ぶりに自分のパソコンの前に座ることができました。昨年のクリスマスは聖歌隊の多くの方々に無理を言って車椅子と松葉杖での礼拝参加ができたことは、本当に感謝したいと思っています。まだまだ完全ではありませんが、これからもご迷惑をおかけしないように聖歌隊活動に参加したいと思っています。実は私だけではなく、昨年末に男声の数人が高齢だけでは説明がつかない不調に見舞われ、苦しい礼拝での奉唱が続いています。元気な女声たちに支えられ、これからも精一杯、礼拝奉仕させていただきます。 |